白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2003.5.1

 一週間がかりでサーバの OS を Mac OS X Server から FreeBSD へ移行。FreeBSD はちょこちょこいじっているが、クライアントマシンを作るのと違い、一からサーバを構築するのは流石に骨が折れる。でもなかなか満足なサーバが出来上がった。しばらく挙動を監視しなければならないが。

 別に Mac OS X Server に不満はなかった。しかし、ベンダー提供の OS の運命というか、うちで使っている 10.1.5 用のアップデータが待てど暮らせど出てこないので、またぞろ十万近く出して 10.2 を買うのもアホらしいし、とっとと FreeBSD にしてやったのである。つまり、強いて言うなら Apple に不満があるわけである。Sun なんて数世代前の OS の面倒も見ているし、FreeBSD や Linux といったオープンソースの OS は言わずもがなである。あの MS ですら Windows NT のパッチを出してるんだぞ。ひとつ前のバージョンくらい面倒見れ。

 まあパッチが出てこないなら自分でちょこちょこと個別にアップデートすればいいだけの話なのだが、ときどき Mac OS X(というか Darwin)をちゃんとサポートしてないソフトがあって、makefile を修正するくらいなら出来ないこともないけれど、いくらなんでもソースをハックするのはちょっと無理なんである。FreeBSD なら大抵のソフトが configure で make 一発。楽チンなことこの上なし。

 これまでのサーバマシンは、しばらく控えておいてもらい、新サーバが軌道に乗ったら、相方が作業用に使うことになっている。Mac OS X Server は、ファイルサーバ用の OS としてまだまだ頑張ってもらう予定。ウム、効率的。


2003.4.18

 誕生日である。25歳、なんともう四半世紀も生きているのだ。びっくりである。

 学校の先輩で、ちょうど一年違いの人がいる。以前、懐かしくなってメールを送ってみたら大阪に住んでいて、以来ときどき遊んでいる例の Y 氏である。他にも4/18 生まれの人は結構いて、皇室の紀宮様もそうであるらしい。まあ、何人もいるのは考えてみれば当たり前だが。

 今日は相方の作った弁当を持って、河川敷へ行って来た。良い天気で、静岡では真夏日を記録したそうだ。川岸だからそこまで暑くはなかったけれど、日光は少し肌にチリチリする。弁当も旨いし、心地よい午後だった。誕生日という祝日なので、仕事はもちろん自主休業。


2003.4.16

 今日は歩いているとじっとり汗がにじむくらいの陽気だった。先日「日本で一二を争うくらいキタナイ」などと悪口を並べ立てた近所の川であるが、河川敷の雰囲気はとても良い。いつ散歩してもいろいろな人が思い思いの過ごし方をしている。小さな頃から川は常に近くにあったから、こういう風景と今でも一緒に暮らせるのは嬉しい。

 芝生をさくさく歩いていると、菜の花が咲いている。黄色い花が霞のように揺れている。モンシロチョウがひらひら舞うのを眺めながら土を踏みしめていると、日頃あくせくしているのが馬鹿々々しくなってくる。やっぱり春は一年で一番好きな季節だ。我が世の春という表現があるのも頷ける。

 散歩に出た足で天王寺へ。楽器屋を覗いたらマンドリンピックはなかったけれど、それに近いギターピックがあったので、二枚購入、三百円也。それから本屋でラクダ本の Part 1 を購入。Perl 信者のぼくにしてみれば、ラクダ本を今まで持っていなかったのが不思議なくらいであるが、何しろこの本は高いので、おいそれと買うわけにはいかなかったのだ。少しずつ立ち読みし続けてきたが、それもラリーに悪いので、この際思い切って買うことにした。高い本で、なんと 5,200 円もする。

 ラクダ本のみならず、オライリーの本は総じて高価である。コウモリ本も高かったし、バッタ本も高い。ペリカン本は比較的安かったが、同じ厚さの他の書籍と比べれば充分値が張るといえる。しかしながら、他のどの技術解説書よりもわかりやすい。表紙が必ず何かの動物なので一式揃えたら動物園が出来そうな装丁であるが、比類無き高品質を誇る。こういうとき人はエントロピーの何たるかを考えるのであるが、まあ単にぼくがオライリー信者だからなのかもしれないので、やめておく。

 それにしても、本屋へ行くたびにめまいがする。ここにある本、全部読めたら面白いだろうなぁ、と思うとクラクラするのである。しかし忙しい身にはなかなかそんな余暇は訪れない。父が昔言っていたが、ぼくは学者ないし研究者向きの性格なのかもしれないと、今更ながら思う。

 書架には坂村教授の TRON の本もあった。昨日のプロジェクト X は少し中途半端な印象もあったが、見物としては充分面白かった。機会があったら超漢字を使ってみたいものである。


2003.4.15

 実家よりマンドロン・チェロが到着。何かというと楽器なのであるが、どういうものかを説明するとなるとまずマンドリンという楽器から説明しなければならず、気の長い話になるのでやめておく。

 ぼくは趣味で音楽をやっていて、高校の時にはマンドリンオーケストラのクラブに所属していた。大学のときも一年間ほどいたような気がするが、バンドの方が  面白く  忙しくなってきたのでたちまち幽霊部員と化し、そのとき楽器は高校の後輩に貸し与えたのである。その後、ぼくの楽器は後輩達の間を転々とし、最終的には大学の S 君の手元にあった。

 ちょうど同じ頃、弟がぼくと同じ高校に入学、さらに驚いたことには同じクラブに入部した。少し余談になるがぼくの学校は妙に上下のつながりの強い学校で、つまり後輩の面倒見のいい人間が集まっている。連帯感が必要以上に強く、何しろ初対面の酒の席でも、お互い KO 大学(イニシャルですよ)にいたと言えばそれだけで話が弾み、挙げ句肩を組んで応援歌などがなりはじめ、周囲に多大なる迷惑をかけたりする。

 とにかくそういうわけで、弟経由でぼくの楽器を S 君が使っているということを聞いたのであるが、後日 S 君から、自分は今年卒業である、卒業のタイミングまで貸しておいていただけないかという申し出があった。で、めでたく S 君は卒業し、このたび楽器が数年ぶりにぼくの手元に戻ってきたという次第である。

 早速開けてみたら、後輩からの簡単な手紙など入っている。顔も知らない後輩から手紙を受け取るというのも不思議なものだ。それから図書券が二枚と音楽ギフトカードが一枚。スペア弦が一セット。しかし肝心要のピックが入っていない。仕方がないからギターのピックで弾いてみたが、弾きにくいことこの上なし。今度心斎橋の楽器店にでも買いに行く心算であるが、あるといいな。あるよな、いくら何でも。大阪にもマンドリンのクラブがあるんだから。

 覚えていた曲もあれば忘れている曲もある。懐かしく、少し寂しい。


2003.4.12

 何か知らんが暖かくなったと思ったら早速蚊が飛んでいる。一体、この街はどうしてこんなに蚊が多いのか。ぼくのスーツは春、秋、冬のスリーシーズン着られるタイプのものだが、ここに棲息する蚊は春、夏、秋のスリーシーズン対応で、随分先進的といおうか、憎たらしいといおうか。日本で一二を争う汚染度を誇る川が近所にあるからだろうか。

 そういえばこの川、ときどき水面が虹色に反射していて、どこかの工場が排水を流すか何かやらかしたのだろうと思っていた。しかしゆっくり考えてみると、これはボウフラ駆除のための油膜ではなかったろうか。水面に油膜を張ると、油膜の下に空気が通らなくなる。お茶が酸化しないのと同じ理屈で、ボウフラを窒息させようという魂胆なのではないかと思うのだが、まあどうでもよろしい。とにかくこの蚊を何とかしてくれ。

 ぼくは蚊が嫌いである。別に蚊という昆虫自体は嫌いではないが、血を吸ってやろうと身辺で様子を伺っている様子や、寝ているときに耳元をプーンと飛ぶ迷惑極まりない行動などは、末代まで祟っても祟り足りないくらい憎たらしい。特に耳元を飛ぶの、あれ本当に何とかならんか。眠っていても一発で目が覚めるのだが。血を吸う蚊は産卵期のメスのはずだから、こいつらを片っ端から叩き潰すなり蚊取り線香で落とすなりすれば、多少なりとも蚊が少なくなるのではと、アホなことまで考えてしまうほど辟易しているのである。

 今日はほぼ徹夜明けで客先に行っていたから、頭フラフラ体クタクタなのであるが、蚊が耳元を飛ぶおかげで何度も夜中に目が覚めた。仕方がないからこうして日記を書いているというわけだ。

 畜生、明晩はベープか何かを引っ張り出してきてやるからな。見ておれ。