白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2003.12.16

 S さんの新居にお邪魔して、チーズフォンデュをご馳走になった。S さんはテレビでニュースをしゃべる仕事をされており、話し言葉がとても美しい。いろいろな意味で面白い人だ。新居はとても天井が高く、セコムなど配置されている。チーズフォンデュはとても美味であった。スイス人は毎日チーズフォンデュを食べている、と S さんがのたまった。これは少々疑わしい話ではあるが、チーズ好きなら毎日食べても確かに飽きないだろうな、と思う。

 さすがに首だの腰だの肩だのがやばくなってきたので、整骨院へ。今日は盛大に背中が鳴った。そのあと、肩サイドの首の付け根を念入りにほぐしてもらった。渾身の力を込めてもみほぐしてもらい、何度も「痛くないですか」と訊かれたが、痛いどころかものすごく気持ちが良かった。おかげで体中が軽くなったような感じだ。しかし、帰ってからまた鍵盤入力装置をかちゃかちゃと叩いていると、また少しずつ肩が重くなっていく。因果なものである。

2003.12.15

 サダムが髭を剃ったそうなので、このまま伸ばすつもりでいた髭をぼくもさっぱり剃り落とした。本当は中国の英雄のような、もっと言えばコーエー三国志の諸葛孔明のような髭をたくわえたかったのだが、サダムが剃ったのだから仕方がない。何しろサダムだからな。

 ここ数日、整骨院へなかなか足が向かない。一番の原因はこの寒さだ。冬の夜にてくてくと歩いて整骨院まで行くのにはちょっとした覚悟が必要なのである。二つ目の理由は、枕を変えたことである。竹炭とそば殻を混ぜてどうかしたというこの枕にしてから、首と肩のコリが少しマシなのである。が、腰は相変わらずだし、ちょっと作業が混んでくるとまたぞろ背中一面が重くなるのだろうから、やはり何とか頑張って整骨院へ通いたいものだ。

2003.12.14

 我が家から仔猫が一匹北海道へ旅立つことが決まったのは、もう二ヶ月程前のことだったろうか。今日、空輸の為に関西国際空港へ行ってきた。本当は飛行機に乗って相方と二人して里親さんのご自宅までお届けしたかったのだが、時節柄そんなことも言っていられないので、仔猫だけ送ることにしたのである。猫はまだわらわらと居るから寂しいということもないのだが、別れるときはやっぱり切なくなった。

 先ほど里親さんから電話があり、初めての飛行機に驚いて目を見開いているものの、すこぶる元気な由。これからご自宅でゆっくりさせてもらうそうだ。幸せになってほしい。

 ところで、関西国際空港略して関空へは、電車もリムジンバスも出ている。それぞれエアポートターミナルのすぐ前に到着し、搭乗手続きは非常にスムーズに行えるようになっている。ここまでは素晴らしい。国土交通省万歳だ。が、国内貨物の受付はそこからさらにバスを乗り継いで行かねばならぬほどの遠方にあり、しかもそのバスは一時間に三本しか出ていないというのである。時間に非常にシビアな飛行機の発着施設とは思えぬ程のテキトーな設計だ。

 必然的に、自動車で行くことになる。しかしぼくは関空へなど自動車で行ったことはないし、おまけに数年ぶりに高速道路へ乗る必要があるらしかった。ぼくは激しく狼狽し、昨晩はマピオンで二度も往復シミュレーションを行ってようやく心を落ち着けたもののなかなか寝付けず、朝になって出かけるという段になって急に一般道を通っていくことになり、ここにぼくの狼狽は頂点に達したかと思われたが、おかしなもので人間こういうときは逆に腹がすわるものである。意外と落ち着いて運転出来たし、それより何より、予期に反して関空までの道のりは素晴らしく走りやすかったのであった。

 帰途、心に余裕ができたので、あちこち寄り道をしながら帰ってきた。ホームセンターで猫トイレやら爪研ぎ器やらを購入したり、昼食に回転寿司へ寄ったりしてきた。だが流石に疲れたので、FFCC などしながら今日はもう休憩するつもりである。

2003.12.12

 ここのところ夜型だったのであるが、朝から出かける用事があったので、無理やり朝型に戻した。といっても今回はいつものような「24時間ぶっつづけで起きている」方式ではなく、その逆、すなわち「20時間ぶっつづけで眠りこける」手法でいった。これは楽でよろしい。もとより冬であるから、眠るのはいくらでも眠っていられる。

 唯一の欠点は丸一日無駄に消費することだ。昨日は実に何もしなかった。

 年の瀬に向けて大掃除が始まっている。相方がいろいろとひっくり返して頑張っている。いろいろなものをひっくり返して中を掃除したり、無駄なものを潔く捨てたりすることに関しては、相方は無敵を誇る。しかし物を整理して並べるとか、秩序立てて片付けるとか、そういう段になると、途端に混迷の様相を呈してくる。極端な言い方をすれば食器棚に靴下が入っているが如き状況になる。こうなったらぼくの出番だ。ぼくは、掃除をするとか物を捨てるということに関しては不得意を極めるが、整理するとか片付けるとか、そういう作業なら得意中の得意である。互いの欠点を補い合えるのは素晴らしいことだ。

 というわけでぼくはパワプロをしてるから、片付き始めたら呼ぶように。

2003.12.10

 自分は案外ブランド志向であるらしいことがわかった。ブランドというのは、つまるところ安心感だ。ここになら安心して任せられる、ここの製品なら安心して購入することができる。そういう安心感を求めるのが、ブランド志向の原点である。ちゃらちゃらとヴィトンだ何だと追い回している頭の軽い女どものはただの強迫観念であって、などと書いてもいいのだが、よく考えたら五十歩百歩だからやめておく。

 とにかく、ぼくは案外ブランド志向であるらしい。林檎計算機会社の製品なら操作感が素晴らしいだろう。回線や鯖を使うなら日本電電系列が安定しているし、潰れる心配もない。あまり自覚がないが、省みればそういう決め方をすることは少なくない。それならなぜ微軟がキライなのかというと、微軟製品なら まず間違いなく使いにくい ということを身をもって知っているからだ。逆のブランド志向とも言えるかもしれない。

 もっとも、窓群については、昨日 P@ さんがおっしゃっていたように、使う人次第では素晴らしい道具にもなりうる。ぼくもそう大いに思う。が、やはり経験というか、苦い思い出はそう簡単に消えるものではない。

 ああ、今思ったのだが、自分の経験に基づく安心感はあまりブランド志向とはいわないな。他人の安心感の上に立つ評判を信じることが、すなわちブランド志向なのであるな。そうするとぼくは……やっぱりある程度ブランドを信ずる傾向にはありそうだ。

 というか、考えのまとまらぬうちに文章を書くものではないな。