白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2005.7.27

 すっかりご無沙汰であるが、別にくたばってしまったとか、病気をしているとかいうわけではないので、特にご心配にはおよばない。ただ、ちょっと忙しいだけだ。

 以下、わかる人にだけわかる話題。準決勝を制しましたな。次を勝てば甲子園出場になるが、まったく、よくもこれだけ次から次へと強豪校ばかり出てくるものである。

2005.7.6

 ペプシXとかいう新製品を飲んでみた。二度と手に取るまいと固く誓った。商品名にペケの付いたものなんぞを買ったぼくが愚かであった。

 空梅雨かと思っていたら7月に入って急に雨が降り出し、鬱陶しい日々が続く大阪だが、実をいうとぼくの日常にはあまり関係がない。最近は作業ばかりで、ちっとも外出しないからである。ずっと閉じこもっていると、世間の変化に色々と疎くなる。もともと敏感な方でもないが、ここ最近はそれこそ世捨て人のようで、流石に自分でも飽きれる。

 今日は久々に外へ出て、相方に付いてダイエーで買い物をした。そこで件のペプシXに出会ってしまったのである。ガラナがどうとかクセになる味がこうとか、スズメバチの警戒色のようなコピーが満載だったのだが、他ならぬペプシコーラの新製品である。旨いかどうかは二の次だ、飲むのはペプシファンとしての義務みたいなものといえよう。などとは微塵も考えなかったが、面白半分というか、とにかくいささか楽観的な展望をもって買い物カゴに放り込んだのは事実だ。その結果は最初に書いた通りである。

 いかに世界が新鮮に見えようと、やはり君子たるもの危うきに近寄ってはならぬ。

2005.6.25

 激流に負けて滝つぼに飲み込まれるようにみるみる最下位に沈んだ我等が広島カープであるが、最近ようやく明るい話題が出た。野村の2000本安打達成である。おまけに勝利にからむ打撃をしたのであるから、個人成績などチームの勝利に比べれば屁のごときものと普段から思っている選手会長様も、この日ばかりは素直に喜べたのではないだろうか。

 彼が鳴り物入りで入団したあと、不思議なことに高橋慶彦がどこかへ消えてしまい、いつの間にやらカープのショートといえば野村となっていたのは、子供心にも不可解であった。しかし、今は素直に嬉しい。それどころか、入団二年目か三年目にはぼくもすっかり野村のファンになっていて、高橋慶彦が阪神だかどこだったかで引退したことはつい先ごろ知ったくらいで、まったく薄情なものだが、とにかくそれくらい長く応援してきた身としては、祝砲の二、三発くらいぶっ放したい心境である。

 あとはチームがせめてAクラスに浮上するだけだ。あまり滝から転げ落ちてばかりでは、鯉の名がすたるというものであろう。

2005.6.19

 小田和正『そうかな 相対性の彼方』を購入。「そうかな」というのが「相対性の彼方」の略であることを、開封してみるまで気が付かなかった。

 とりあえずグルグルと聞いている。老いてなお盛んなどというと失礼極まるが、ここ最近の小田さんは本当にノッている。どの曲も良い。

 四曲目に『僕らの夏』というのが入っている。オビによればロボコンのテーマ曲だったらしいが、これはもう、誰がどう聴いたって、オフコースのことを歌っているのだと直感するに決まっている。

 学生時代に何人かで何かの活動をした経験を持つ人たち(例えば、ぼくならバンドであるが)は、この曲を聞いて、ただならぬものがこみ上げてくるに違いない。小田さんはオフコースを「僕にとって学校みたいな場所だった」と発言しているが、彼がオフコースをテーマにして歌うということは、つまりそういうことだからだ。

 五月病が抜け切らない新社会人には、あまりお薦め出来ない曲ではある。けれど、今を最高の時間として生活出来ている人にとっては、セピア色の香りを乗せたひとすじの風のように、この曲は響くことだろう。前向きの懐かしさを心地よく感じることが出来たら、それはあなたが、全ての時間を大切にして生きていることの証だと思って良い。

2005.6.16

 風呂に入っていたら、クモが巣を張っていた。このクモは実をいうと顔見知りで、マヌケなことに二、三日前から風呂場で頑張っている。一昨日、昼間にちょっと見たらもう居座っていて、夜半過ぎにシャワーでもしようかと行ってみたら、まだ居た。なかなか根気のあるクモだとしげしげと眺めて、ひょいと左を見ると、壁に立派な使徒がくっついていて、長い触角を動かしながらカサコソと蠢いていた。

 今年初めての遭遇に驚いたぼくは、悲鳴こそ上げなかったもののそのまま退散し、しばらくしてから逆上し、翌日ゴキンジャムなどを家中にばらまき、さらに風呂の壁という壁をアルコール消毒してやったのだが、そのときにもこのクモ氏はまだそこに居て、じっと網を張っていた。よく獲物がかかるからここに居るのか、何か獲れるまでは意地でも動かぬという気持ちで居るのか。ともあれ見上げた根性だ。

 ぼくはクモは平っちゃらである。むしろ愛してすらいる。彼らは実にネバネバした糸を連れているから、掌に乗せて愛でるという訳にはなかなかいかないが、その保護には気を遣っていて、部屋でクモを見かけたら天然記念物か重要文化財のように丁重に扱うことにしている。なんとなれば、彼らは蝿だの蚊だの使徒だのを狩ってくれるからである。こんな益虫が他にいるだろうか。

 それに、彼らの仕事はなかなか見ていて興味深い。昨夏のことだが、寝室の電灯のカサのところに同じ種類のクモがやってきて、網を張り始めた。礎となる数本の糸を張るのには少し苦労していたが、それが終わると後は実に手際が良い。ぐるぐると回って、あっという間に巣が出来てしまった。こんな現場はNHK教育テレビでしか見たことがなかったものだから、ははぁと思って見ていたのだが、見ているうちに蚊がひっかかった。と思う間もあらばこそ、クモは電光の如く蚊のところまで移動し、あれよあれよという間に糸で包み込んでしまった。あまりの早業に、ぼくは思わず手を合わせて拝んだほどである。

 朝だか夜だかに見かけるクモは縁起の良いものなのだそうだ。ぼくにとっては朝も夜もなく、クモは家の守護神の一種みたいなものである。今年の夏もどうぞよろしくと、巣を壊さぬように丁寧に風呂から上がった。