白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2006.4.27

 先日、相方の父上が四国遍路88箇所巡りをされたのだが、その土産にと一枚のお札をいただいた。何でも50回以上巡った方が納めたお札だそうで、金箔が塗ってあり、いかにも御利益がありそうだ。どういう風にお札を納めるのか知らないが、ともかく納札所でこの金のお札を見つけたら、その先達の功徳を分けてもらうことが出来る由。その証のようなものだろう、お札を持って帰っても構わないのだそうだ。

 あまりありがたいので、どこかに飾るつもりでいる。神社グッズ(こういう言い方はあまり正しくないかもしれない)もあるのだが、まあ問題なかろう。自分はいかにも日本人だと思う。

2006.4.22

 昨日の朝、ファイルサーバが飛んだおかげでエラい目にあった。データは全て無事だったので実害はほとんどないのだが、復旧するのに(といってもFireWire接続の外付けリムーバブルケースからHDDを引っこ抜いてG4サーバに放り込むだけなんだけど)手間と時間がかかってしまった。この忙しいのに、冗談ではない。

 まあ一斉バックアップの良い機会になったから、それでよしとしよう。

 スネークマン・ショウのファーストアルバム、通称『急いで口で吸え』を買った。日付が新しいので、再発盤であろう。スネークマン・ショウのコントはYMOの『増殖』でしか聞いたことがなかったのだが、ある事情でアルバムを買うことになった。ある事情というのは、つまりまだ知らなかったコントを聴く機会があって、例によって呼吸困難で死にそうになるくらい笑い転げ、これはいっそアルバムで持っておくべきだろうという結論に至ったというのがそれである。要するに大した事情ではない。

 YMOはスネークマン・ショウの他、アルバム『サーヴィス』で三宅裕司率いるS.E.T.ともコラボレーションをしている。S.E.T.のコントも面白いが、ぼくはスネークマン・ショウのギャグの方が好きだ。なんとなれば、スネークマン・ショウのギャグは毒入りだからである。それも猛毒だ。ギャグは毒の強い方が面白い。といって、もちろん強力な毒が盛り込まれていれば良いというものではなく、彼らの場合はそのバランス感覚というか、センスも素晴らしいのである。

 近日中にもう3枚ほど購入する予定。

2006.4.4

 歯ブラシを替えるついでにパックス石けんハミガキというのを衝動的に購入。何かというと、ご覧の通りの練りハミガキ粉なのであるが、シンプルな外箱と、そこに描かれてあるアライグマの洗太くんに惹かれて、ついフラフラと買ってしまった。太陽油脂の製品である。

 買ってから気がついたのだが、これは比較的健康指向のハミガキ粉であるようで、洗太くん曰く「合成界面活性剤とサッカリン不使用」とのこと。ぼくは控えめに言っても化学には縁が無いので、その意味するところはサッパリだが、使用感はこれまでに使ったどのハミガキ粉よりも良い。

 何が良いといって、他のハミガキ粉のようにハッカの味で「なんとなく爽快」などと誤魔化されないのが素晴らしい。舌への刺激も少ないから──なぜ世の中には舌が壊れそうなくらい辛いハミガキ粉が多いのだろう──安心して長時間ブラッシングしていられる。当然、歯と歯茎の健康にも良さそうだ。

 是非とも一度お試しあれ。

2006.4.1

 せっかくだから何か面白いことでもしようかと思ったのだが、特に思いつかなかったので、エイプリルフールについて書くことにする。

 昔、今のスペインにアブラスという男がいた。キリスト教全盛の、中世のことである。彼は聖人に列せられているが(エイプリルフールはつまり彼の日である)、もともとの生業はというと詐欺師で、方々で人々に害を為していた。

 あるとき、ついに神の敵として捕縛され、ローマに護送されることもなく、現地の司教だか神父だかの判断で裁かれることになった。判決は、死刑。それも火炙りにかけられることになり、ついに処刑の日となった。足下に積まれた枯れ草に火が着けられ、縛りつけられたアブラスも一巻の終わりと思われたが、そのとき一天にわかにかき曇り、篠つくような豪雨となって、まさに燃え上がらんとしていた炎をたちまちのうちに消してしまったかと思う間もあらばこそ、すっと雨もあがり、雲間から太陽が何事もなかったかのように顔を出した。

 これは神のご意志であろうということになり、アブラスは釈放される。しかし民衆のこともあるので、ご当地の神父だか司教だかは「召使い」と称してアブラスの元へ修道士をひとり送り込み、彼を監視させることにした。アブラスはというと、彼は彼で神に感謝の念を抱き、これからはまっとうに生きようと決心して、以後は嘘は言わぬ、もし言ったら即刻引き立てて、今度こそ縛り首にしてもらってかまわぬと公言していた。

 それからのアブラスは本当にひとことの嘘も言わずに過ごしていたが、そんなある日、街でひとりの老婆と出会った。彼女は一通の手紙を手にして、読もうとしているようだったが、一方で途方に暮れているようにも見えた。不審に思ったアブラスがどうしたのかと尋ねると、果たして老婆は文盲なのであった。その手紙は息子の旅先から受け取ったのだが、一体何と書いてあるのか──彼女に請われるままアブラスはその手紙を読み、そして聞かせようと思ったが、そこに書かれてある内容は、そのまま伝えるには過酷な内容であった。

「何と書いてあるのかしら」

 老婆が云う。生涯嘘は付かぬと決めたアブラスだったが、ここで葛藤が生じた。結局、彼は、手紙の内容とは正反対のことを老婆に告げ、そこを後にした。それから彼は教会へ赴いて、自ら処刑台に登ったとのことである。彼の罪はその思いやりによって神に許されるであろう、と司教だか神父だかが言うと、一筋の光がアブラスの体を包み込み、その魂は天に召されたということだ。教会は彼を聖人に列し、その日──つまり4月1日を彼の日とすることを決め、後世、その日だけは嘘をついても、人の心を傷付けぬようなものなら、神は許されるといわれるようになった。

 とまあ、ざっとこのようなホラを吹く習慣は、比較的古くから存在するようである。来年からは祝日になるそうだ(これは本当)。ご興味のある方はウィキペディアの当該記事をどうぞ。

2006.3.31

 最近、マウスをアップルの丸マウス(初代水饅頭の前のあれ)から変えた。G5に付いてきたMighty Mouse を試しに使ってみたところ、これが意外にも使いやすいので、すっかり気に入ったのである。

 ただ、脇に付いている変なボタンとか、右クリックを判定してくれるビミョーなセンサとか、スクロールボタンに機能を割り当てられる機能とか、要するにアップルの言う「革新的な」機能はほとんど切ってしまって、純正オプティカルマウスにスクロールボタンが付いただけという、ジョブスが聞いたら卒倒しそうな使い方をしている。

 他の人はどうだか知らないが、事務的な用途のアプリケーションを使う場面以外では、ぼくにとってボタンの多いマウスは無用の長物どころか不便以外の何者でもない。ついでに言えば、事務的な用途のアプリに於いてもコンテクストメニューを使うような操作は大抵ショートカットキーで間に合うので、やっぱり大して重要性を見出せない。そんな訳で、右クリックのセンサはオフにしている次第。

 脇の変なボタンを無効にしている理由はもう少し単純で、使おうとすると指がつるからである。それに、持ち上げたときに不意にDashboardなんぞが出てくると心臓にも悪いし、イライラしているときには精神衛生上もよろしくない(別にDashboardじゃなくてもいいんだけど)。

 本当に気に入ってるのかお前はと言われそうだが、本当に気に入っているのだ。本当ですよ。特にスクロールボタンの不思議な感触は大のお気に入りである。それから、光センサの性能がかつてに比べて格段に良くなっているような気がするのも良い。