仕事の打ち合わせ、というか営業で、朝から外出。電車は出勤するサラリーマンや登校中の学生でごった返しているかと思いきや、そうでもなかった。朝とはいえラッシュとは少し離れた時間帯だったのかもしれない。サラリーマンは大変な稼業だとつくづく思う。
帰ってから昼寝をするつもりでゴロゴロしていたら、夜になってしまった。仕方がないからこのまま起きていて、早朝にもう一度床につくつもりである。そうすればちょうどよいサイクルに戻るのではないかと勝手に思ってみたり。どうだろうな。また昼まで寝るのがオチだろうか。
結局眠れず、仕方がないので寝ずに仕事をしている。
PHP で class を書いた後に Perl でクラスモジュールを書いていると、Perl のオブジェクト指向が従来のプロシージャ指向の文法を
無理矢理 巧く拡張したものだというのがつくづくよくわかる。Perl5 以降に P++ というニックネームを付けたくなるくらいだ。
Perl6 になったらまたガラリと変わるらしいが、どうなるんだろうか。Perl では下方互換性は伝統的にかなり厳密に保たれているから、その点は心配ないとして、より一層 OOP な方向に突き進んでいることは疑いがない。さしづめ
Objective-Perl ってなとこだろうか。ちょっと違うか。
今日のお仕事 BGM は中島みゆき。徹夜でぼんやりしがちな頭に、力強い歌が心地よい。お〜おかみにぃ〜〜なぁ〜り〜たいぃい〜、っと。
エヴァ一旦完結。第弐拾四話の次回予告が「Air」の方だったので、こちらが庵野監督の想定していた元々の終幕だということもあり、一旦こちらで閉めた。途中いろいろとストーリーが補完されていたおかげで、エヴァも随分すっきりとわかりやすい話になったなぁというのがとりあえずの感想である。受け手の想像力を試すような、文学作品に似た匂いを持つストイックなテレビ版の方も、あれはあれで面白かったのだが。
話は変わるが、朝日新聞だったか、日本語の乱れを云々している記事があった。この手の論文はいつの時代にも出てくるものだが、その記事で取り上げられていた「よろしかったでしょうか」という言葉、これ、ちょっと意識していると、確かにかなり耳に付く言葉だ。
もっとも、今日のケースが特殊だっただけかもしれない。数分前に注文して、料理を持ってきたときに「こちらでよろしかったでしょうか」は許容範囲なのだが、こちらから要求したわけでもないのにやってきて、目の前の皿を今まさに下げようというときの「お下げしてよろしかったでしょうか」は流石に違和感を覚えた。いくらなんでも時系列くらい意識してしゃべってくれ。
件の朝日新聞は「よろしくなくても既にやっちゃんたんだから、いいよね。許してくれるよね。という意識が透けて見えるようでいい気分がしない」というような意を書いていて、そう言いたくなる気持ちもわからないではないが、やはり少々穿ち過ぎの意見だろう。
まあ言葉ほどシチュエーションによって印象の異なるものもないから、いろんな見方があってしかるべきだとは思うけど。結局こんな結論かよ。
またまたアメリカ西海岸時間で生活している白林檎である。だって仕事がはかどるんだもの。一日十四時間労働が苦にならないと、とある ML に投稿したが、これは本当のことだ。
P++ ならぬ Perl5 でオブジェクト指向プログラミングをしていると、次はいよいよ Java か C++ あたりに手を出してやろうかという気になってくる。Java は FreeBSD と相性が良くないから C++ だな。その前に C で CGI くらい組んでみやがれと陰の声。
つーか本格的に FreeBSD を使うなら C で hoge るくらいのことは出来ないといけないよな、やっぱり。ソース hack とかにも手を出してみたいしなぁ。ソースを hack するだけで OS X でも使えるようになりそうなソフトがどれだけあることか。
眠いのでぼちぼち閉店します。現在午後六時。
ゴキブリが闊歩する季節になった。ぼくは奴らを
使徒 と呼称しているのだが、使徒の発する強力な AT フィールドのおかげで、人間は近寄ることすら出来ない。そこで、汎用猫型決戦兵器の登場ということになる。彼らは AT フィールドをものともせず、大抵は一撃で殲滅してくれる、実にありがたい存在なのである。もっとも、全機とも S2 機関を搭載しているので、場合によっては使徒を喰らったりするのが少々困りものだが。
今日現れた使徒は実に立派だった。素早いとか黒光りしているとか飛びそうとかそういうヤワな表現の通用する相手ではなく、実に人語を解するくらいに立派だったのである。知恵も付いているようで、我が家の猫型決戦兵器は、ついに仕留められなかったようだ。残念。
また明日の夜に期待。