はっきりしない天気だったが、昼にラーメンを食べたくなり、道頓堀のラーメン大食堂へ出かけた。土曜日であるためか、以前来たときよりも客の入りが良い。そのときに食べたぶぅという店が早々に撤退して、何とかいう店に替わっていて驚く。何と入れ替わりの早いところだろう。どうせなら桂花くらい来ないだろうか。
その後、相方が途中で布を買い、そのまま歩いて日本橋へ。道すがら、見事なモヒカンを頭に頂いている男を見た。まるでギャツビーの宣伝に出ていそうなくらい立派なモヒカンである。あれだけ手入れをしておくのは大変なことだろう。日本橋では応援販売員があちこちの店に入っており、流石に賑わっている。昨日パナソニックのことを書いたからというわけではないだろうが、派手なナショナル・パナソニックのキャンペーンブースが目に付いた。Yahoo! BB も相変わらず多い。それに対抗してか、OCN の国際付加価値通信網方式電話のブースも至る所に出ていた。
ソフマップで中古のゲームボーイアドバンスを見てみる。二台で八千円強、ケーブルやバッテリーなども含めると一万円ちょっとくらいはするだろうか。やはり少し勿体ない。マザー 1+2 をやるために買っても良いのだけど、それならゲームボーイアダプタを買った方がいろいろと使いやすそうだしな。悩んだが、結局 GBA はとりあえず置き、かねてから欲しかった中古の CD を二枚買って引き上げた。
……あ。腕時計の電池を交換するの忘れてた。
ラストサムライとかいう映画が公開中らしいが、CM を見る限り、トム・クルーズの体を張ったネタとしか思えない。まあ日本人が西洋ファンタジーに憧れるようなもんなのかもしれないが。
今日から ja.OpenOffice.org の体裁が変わった。まだいろいろと問題もあるようだが、以前のに比べると実にクールな感じだ。この前も書いたけど、やっぱりこのスタイルに合わせて網頁を変更したい。よくもまあこんな時間のない時期に面白そうなネタを上げてくるもんだ。さて、どうしたもんかな。
今日はジョン・レノンの命日である。ぼくがこれまで生きてきた中で最も多大な影響を受けた人物は誰かというと、まあ両親に決まっているのであるが、両親を除くと、ジョン・レノンと北杜夫が二大巨頭である。ジョンが今もニューヨークに住んでいたらどんな曲を歌っただろう。石油を愛して止まぬ米の国の大統領は、やはり彼を国外退去処分にしただろうか。
川で溺れている見知らぬ子供を助けようとした中国人男性が溺死したそうだ。偽名を使って不法滞在していたらしいが、何も顧みず一心に飛び込んでいったとのことである。彼の住んでいたマンションの住人たちが手向けた花の写真が、アサヒ・コムに載っていた。外国人であるとか、日本人であるとか、そんなことは本来どうでもいいことなのだと、あらためて思った。
天国へ行くために人を殺す。平和をもたらすために戦争をする。これほど矛盾していることはない。クリスマスまでには戦争が終わりますように。Happy Christmas.
米ラムズフェルド国務長官に、栄えある「何を言っているか分からない賞」が授与されたそうだ。アサヒ・コムの記事を途中から引用しよう。
……受賞に結びついたのは、イラクの大量破壊兵器の有無にからむ長官の、昨年の記者会見での発言だった。
そのさわりは――「我々が知っている、と我々が知っていることがある。知らない、と知られていることがあることも知っている。つまり、知らないことがあることを我々は知っている。知らない、ということを知らないこともある」
「彼が何を言いたいのかを知っていると我々は思っているが、本当に知っているかは知らない」。こちらは同団体 (白林檎註:「分かりやすい英語キャンペーン」という英国の市民団体) の広報担当者の弁。
コメントがイギリス人らしい皮肉に満ちているのも良いが、何よりブッシュ政権のタコな一面がよく表れていて良い。
自分は案外ブランド志向であるらしいことがわかった。ブランドというのは、つまるところ安心感だ。ここになら安心して任せられる、ここの製品なら安心して購入することができる。そういう安心感を求めるのが、ブランド志向の原点である。ちゃらちゃらとヴィトンだ何だと追い回している頭の軽い女どものはただの強迫観念であって、などと書いてもいいのだが、よく考えたら五十歩百歩だからやめておく。
とにかく、ぼくは案外ブランド志向であるらしい。林檎計算機会社の製品なら操作感が素晴らしいだろう。回線や鯖を使うなら日本電電系列が安定しているし、潰れる心配もない。あまり自覚がないが、省みればそういう決め方をすることは少なくない。それならなぜ微軟がキライなのかというと、微軟製品なら
まず間違いなく使いにくい ということを身をもって知っているからだ。逆のブランド志向とも言えるかもしれない。
もっとも、窓群については、昨日 P@ さんがおっしゃっていたように、使う人次第では素晴らしい道具にもなりうる。ぼくもそう大いに思う。が、やはり経験というか、苦い思い出はそう簡単に消えるものではない。
ああ、今思ったのだが、自分の経験に基づく安心感はあまりブランド志向とはいわないな。他人の安心感の上に立つ評判を信じることが、すなわちブランド志向なのであるな。そうするとぼくは……やっぱりある程度ブランドを信ずる傾向にはありそうだ。
というか、考えのまとまらぬうちに文章を書くものではないな。