朝、雪がちらついていた。こんな日に客先へ行かねばならぬとは因果なものである。もっとも、雪はすぐに止んだ。駅に着く頃には傘を畳んでしまえたし、目的地に着く頃には日の光さえ差しだした。しかし、それでも寒いのには変わりない。長袖のシャツの背中にホッカイロを貼り、セーターを着込んだ上にスーツを纏い、厚手のロングコートを羽織るという完全装備だったにも関わらず、水洟が止まらなくて大いに難儀した。
帰途、天王寺のソフマップへ寄る。先日少し書いたプリントサーバがそれなりにちゃんと動きそうなので、いよいよ機材の配置替えを考えようと思ったからである。とりあえず Ethernet HUB のポートが足りないので、新しく 16 ポートのものを購入する必要がある。他にサーバ用に CPU 自動切替機と液晶モニタが欲しいが、こちらはまあ無くてもなんとかなるから、とりあえず保留。一月にちょっといろいろと買いすぎたので、少し自重しなければならないのである。
明日ゆっくりと配置を考えてから機材を決めようということで、今日は結局何も買わなかった。こういうとき、慎重な性格は重宝する。優柔不断ともいうが、相方が A 型の割に買い物に関しては比較的即断即決型であるので、ちょうど釣り合いが取れて良い。
唐突だが、最近「今、二番目に欲しいものって、何? / 普通、一番だろ」の CM が妙に気に入っている。コピー、演技、演出の全てが非常に的確で、見かけるたびににやりとさせられる。この辺のインパクトが強すぎて
何の CM なのかさっぱり印象に残らぬ のが問題点といえば問題点だろうが、よく出来た CM とは常にそういう宿命にあるものだ。
CM 論はとりあえず置くとして、「今、二番目に欲しいもの」を真面目に考えてみると、案外難しい。前提として一番欲しいものが決定している必要があるからだろう。一番欲しいものを選定するのもなかなか大変だ。首尾よく決定したとしても、そうして選び抜いたものよりも劣るのがすなわち「二番目に欲しいもの」なのであるから、結局のところ、心身共に満足する回答はみつからない。そればかりか、考えれば考えるほど自分の欲というものを目の当たりにすることになる。
こういった皮肉さが、ぼくの可笑しみを誘うのである。
プリントサーバはなかなか快調である。本当を言うと ALPS MD-5000 を接続して使いたかったのだが、いろいろ試した挙句うんともすんともいわないため、諦めておとなしく HP Deskjet 970cxi で使うことにした。ぼくは ALPS のプリンタが好きだが、HP のプリンタも好きである。そして Deskjet 970cxi は I-O DATA でも動作確認がとれている。今度は何の苦労もなく設定できた。Mac OS 9、Windows 2000 それぞれからネットワークプリンタとして使用できる。
ところが、Mac OS X では EtherTalk 越しにプリンタが見えない。何事ならんと I-O DATA のサポートページを見てみたら、なんと Mac OS X では PostScript プリンタしか動作確認をとっていない。仕方がないから IP プリンタとして登録し、テストデータを PPD ファイルと一緒に食わせたら、宇宙語を吐き出しやがった。
こういうときは LinuxPrinting.org が頼りになる。行ってみると、案の定 Mac OS X 用の印刷ソリューションがあった。それも独立したコーナーまで用意されている。素晴らしい。ここから hpjis と Gimp-Print を入手し、順番に試してみる。hpjis はどうもイマイチな感じだったが、Gimp-Print + CUPS でバッチリ印刷できた。GNU 万歳。
一応、簡単に手順を記しておく。Mac OS X 10.2 で、プリントサーバの TCP/IP 設定は済んでいるものとする。まず、
Gimp-Print をダウンロードする。ディスクイメージで落ちてくるので、これをマウントすると、中にインストーラパッケージが入っているから、普通のアプリケーション同様の手順でインストール。完了したら、プリントセンターを起動し、追加をクリック。IP プリントを選ぶ。アドレスやキューは付属のマニュアル通りに設定し、プリンタの機種では自分のプリンタ、ここでは 970cxi が Gimp-Print によって 900 Series として選択できるようになっているので、これを選ぶ。以上で完了である。場合によっては「情報を見る」メニューから場所欄に IP アドレスを入力する必要があるかもしれないが、まあこの辺は勘で適当に。
ご参考になれば幸いである。あと、
Gimp-Print が対応しているプリンタのリスト も参照のこと。
久しぶりに一人で日本橋をウロウロしてきた。ぼくは二、三時間休憩なしで歩き回ってもちっとも苦にならない。しかし相方をはじめ、他の人にはこれが相当な苦行のようである。そこで、一人で出かけたら、このときとばかりに徹底的に歩き回る。特に日本橋や秋葉原のような街は、大通りを往復する程度では到底満足できないから、それこそ徹底的に路地裏まで這い回る。
一応断っておくが、無闇にそういうところをうろつくと怖い目に遭う可能性があるから、充分注意する事。この一文を読んでも敢えて行きたいというならもう止めないから、好きにするが良い。
さて、秋葉原の醍醐味が駅前の商店街であるように、日本橋の醍醐味といえばやはり日本橋商店会であろう。電気製品の店もあるが、工具や部品、洋服の店から妙なリサイクルショップのようなところまで、実にバラエティに富んだ散策が楽しめる。ぼくのお気に入りは着物屋だ。常々、是非普段着を和服にしたいと考えているのだが、洋服で二十年以上暮らしてきたものだから、和装に関してはとんと知識がない。今のところは店の軒先に吊ってある着物をただただ眺めて楽しむだけにしている。
ソフマップザウルス館へ行くために裏通りを抜ける。その途中にまんだらけがある。この店は大通りにも面しているからご存知の方も多いだろう。日本のオタク文化を象徴するような店である。ぼくはこの方面には疎いので入店した事はないが、ふと窓を見てみると「ビックリマンシール高価買い取り」などと貼ってある。ビックリマンシールは子供の頃ぼくも集めていた。冗談で「値が付くから」とずっと保存していたのだが、本当に値が付いているとは思わなかった。
窓を見れば、当然の帰結として店内の様子が窺える。
サイヤ人がレジを打っていた。 なかなか愉快な店だ。
ついに吉野家の店頭から牛丼が姿を消す。大変由々しき事態である。牛丼くらい家で食えばいいじゃないかという向きもあろうが、それはラーメンくらい自分で作れば良いというが如きもので、ラーメン屋の味を自分で再現するのが至難の技であるのと同様、いくら精進しようと「吉野家の牛丼」を再現するのは到底出来得るものではない。つまり牛丼と吉野家の牛丼とはまったく別の食べ物なのである。無論普通の牛丼も好きだが、吉野家の牛丼もぼくにとっては欠くべからざるものなのだ。
今日で食い納めということで、各地の吉野家では行列が出来たそうである。某ちゃんねるの存在が脳裏にちらつくのはぼくだけではあるまい。もっとも、最後に並んででも食っておきたいという気持ちはよくわかる。輸入が再開されたら販売も再開されるとはいえ、名残惜しいのには変わらない。
牛丼と入れ替わりに、吉野家には新メニューが加わる。相方は「鮭いくら丼」を心待ちにしているが、ぼくは正直いってどうでも良い。嗚呼、牛丼! 汝我と生卵の心を知らず。
『フルメタルジャケット』を鑑賞。ベトナム戦争を扱った映画であるとか、海兵隊が主役であるとか、
「苦情」のネタになった とか、そういう予備知識はあったのだが、やはり一度見てみなければ何にもならぬと思い、ツタヤで手に取ったのである。
戦争をテーマにした映画はどうも二極化する傾向にあるようで、すなわち感動のヒューマンドラマか、そうでなければドンパチお祭り騒ぎ大作に大別されるように思われる。『フルメタルジャケット』はどちらかというとヒューマンドラマの系統に属すると思うが、涙を誘うようないわゆる「感動のドラマ」ではない。この作品では戦争を美化もせず、また非戦も訴えず、ただ淡々と海兵隊員とその身近にある戦争を描く。そのリアリズムがこの映画の味であって、観賞後に何とも言えない感慨を抱かせる。
大局的な目的はどうであれ、局地的に見れば戦争はただの殺し合いに過ぎない。殺される側はもちろん、殺す側のやるせなさが、画面を通して痛い程伝わってきた。どうもこのままいくとキューブリック信者になりそうだ。
ベトナム戦争といえば、ブッシュのタコが支持率を落としているらしい。めでたいことである。だがその対抗馬がベトナム戦争の英雄であるというのも、何だかいただけない話である。