使徒、襲来。まだまだ梅雨まっただ中であるのに、早々と夏ってな感じの大きさである。漆黒の背中は、色ツヤもいい。触覚も立派である。最近成虫になったばかりの若虫なのであろう。
二度と出て来んな、バカヤロウ。
坂本龍一の最新作『Chasm』を買った。Amazon.co.jpのユーズドストアに初回版が出ていたので、これを購入。パッケージの作りが特殊な初回版は、中古だろうが何だろうが、見かけたら猫を質に入れてでも買わねばならぬ。
出品者はぼくと同世代か、少し年下くらいの女の子のようだった。手紙が同封されていて、一回しか聴いていないとある。どうにも眠くなるから……ということだったが、まあそうだろう。老人性エレクトロニカだものな。SKETCH SHOWのセカンドアルバム『LOOP HOLE』も同系統の音で、こちらも心地よく眠ることができそうだ。音響系を突き詰めていくと、こういうところにたどりつくのだろう。
それでも教授らしいハーモニーやメロディが随所にちりばめられていて、久々のオリジナルアルバムに対する意気込みを感じ取る事が出来た。良いアルバムだ。相方は眠くなるみたいだが。
横浜ベイスターズ山下監督の「ピッチャー、デニー」はファンに大変恐れられているセリフであるそうだが、デニー投手は、敵対する側にとってはこの上なく優秀な救援投手である。……デニーはともかく、今日の横浜救援陣の崩れ方は、ちょっと同情するものがあった。おかげでカープも勝てたわけであるが、中継ぎ投手に不安要素があるのはカープも同様。明日は我が身かもしれない……というか、既に中継ぎの炎上で落とした試合が何試合もある。勝って兜の緒を締めよ。
オリックスと近鉄の合併話はあちこちに飛び火しているらしく、件の横浜の球団社長氏も、当初は1リーグ制など大反対であったらしいのが、最近は弱腰になっているそうだ。1リーグ制になったらつまんないだろうなぁ。野球人気の低下がさらに加速するだけだと思うんだけどなぁ。サンヨーオールスターゲームとかはどうするつもりなのかなぁ。日本シリーズがあるからこそペナントレースが盛り上がるのだと思うんだけどなぁ。
とりあえずナベツネ氏はとっとと隠居すべし。
大阪の高速道路には環状線というのがあって、ここは日本道路交通網の中でも有数の恐怖地帯である。何しろカオティックである。次の瞬間に何が起こるか──つまり、どこから車が飛んでくるか予測できない。四車線ある上に、左右両端に別の有料道路への入り口が付いているものだから、ありとあらゆる自動車が斜めに走る走る。ぼくなどには設計に致命的な欠陥があったとしか思えないのだが、片方に寄せたら寄せたで自然渋滞が発生しやすくなるなどの、納得できる理由があるのかもしれない。ぼくは納得できないけど。
もっとも、大阪人の性急さを観察するのに最適の場所ではある。命がけになるが。
梅雨だというのにちっとも雨が降らない。降ったら降ったで憂鬱なのだが、こうも空梅雨だと心配になる。一方で静岡では記録的な大雨が降ったというし、年々気候がおかしくなっているように感じるのはぼくだけではあるまい。
少し前の話になるが、国語審議会だかが外来語の言い換えを検討し、その中間発表をしていた。「コンピュータ」が「電子計算機」に言い換えられるアレである。データベースやオンラインといった語には適切な訳語が見つからず、言い換えはしないということになったそうだが、これは当然のことで、ビーフカレーとかミディアムレアとかいった言葉にしっくりくる訳語がないのと同様である。言葉を輸入するというのは、単に文字や音の羅列を国語に組み込むということではないからだ。
本質的には、新しいモノや概念がまず入ってきて、言葉はいわばそれに付随してやってくる。もともと似たような概念なり物品なりが国内に存在していればそれらしい訳語も生まれるだろうが、そうでない場合には外国語を音写し、外来語として取り込むのが普通であるし、理にかなってもいる。別に無理して訳語を探す必要はない。
もっとも、過剰に外来語が増えるのもいかがなものかとは思う。上の説明に照らし合わせれば、過剰・不要と感じるのは、その外来語によって表現されるものがもともと国内に存在し、名前もきちんとついているからである。
コンセンサスとかユーザビリティとか。この辺を整理するということなら、それなりに意義深い仕事であるといえる。
でも「ボトルネック」が「障害」ってのはどうかなぁ。「困難」とか「難所」くらいが個人的には適当な気がするのであるが。あと「デフォルト」は「初期設定」よりは「初期状態」の方が正確であると思う。何だよ、設定って。
妖精現実経由。マイクロソフト系のサイトが、IEよりもMozilla Firefoxを使うよう推奨する記事を掲載したそうである。例のバグ騒ぎに関連してのことのようだ。当該記事はMSN Slateというポータルのごときサイトに載ったという。なかなか画期的なことだ。
マイクロソフトは大きな会社だから、部門ごとに発言が食い違う事はときどきあり、例えばMac部門が「Windows版の製品よりずっと使いやすい」などと宣伝を打つなどは日常茶飯事である。しかしここまで名指しして自社製品を批判したのは初めてのことではなかろうか。実にマイクロソフトらしからぬ勇気ある決断である。某自動車メーカーにも見習ってほしい。
Macの話題ではTigerとiMacが今最も熱い。AirTunesも熱い。というか、この前WWDCがあったばかりだから、大抵のものは熱いのだが、中でも注目に値するのはやはりTigerが64-bit対応を果たした事であろう。ついにPowerPC G5の本領を発揮できるOSがやってくるのだ。来年だが。
扱える情報量が飛躍的に増えるおかげで、映像方面では短いクリップならすべてオンメモリで扱えるし、音楽方面ではソフトシンセの同時発音数が数倍になる。3Dモデリングやレンダリングでも相当な速度向上が見込めるし、プログラムのコンパイル速度も呆気にとられるくらい速くなっていることだろう。クリエイティブな現場にとって、この技術革新は何よりもありがたい。
や、G5買わなきゃ享受出来ないンすけどね。
ぼくは文系人間であるので、数学や物理、化学といった科目とはとんと御縁がない。理系科目で何とか人並みに点数を取る事が出来たのは生物くらいのもので、他はもうサッパリであった。
高校が附属校であったので受験勉強などという七面倒なものはする必要がなかったが、逆に必要以上に濃い授業はいくらもあった。例えば世界史の教師は新年度に教室へ登場するなりモンゴル語で自己紹介を開始した。これは彼女の専門が古代東洋史であることに関係があるらしいが、その授業は中世までしか進まず、それも東洋史の領域を出る事がついになかった。日本史などは最初の授業で戦国時代以外は扱わぬと宣言されたし、生物は一年かけて遺伝だけを延々と深く掘り下げる授業であった。英語に至っては文部省指定教科書を開いた事が三年間で一度もなく、『二都物語』原書を読解したり、来る日も来る日もTOEICもどきのテストをする年度もあった。
このようなどちらかというと「学問」に近い雰囲気は好きだったし、それに携わる教師たちにしても、学者をホウフツとさせる妙ちくりんさ──などというと学者諸氏に怒られるかもしれないが、専門家であるが故の一種マニアックな人柄は、思春期のぼくにとって人生観を変えるに充分な興味深さを伴って目に映じたものだった。
その中にあって生物以外の理系科目は比較的きちんと教科書通りに授業が進められていた。高校二年生のときの担任が化学の教師だったために、化学の授業はことさら念入りに行われたのであるが、残念ながらぼくに限ってはほとんど意味を成さなかったと言ってよく、今もって記憶に残っているのはせいぜい元素周期表の記憶術くらいである。「水兵リーベ」のあれである。文系であるので、こういう暗記ごとに関しては理系であっても苦にならない。
随分長い前フリであったが、というかこれが前フリであることに人は驚くかもしれないが、結局ぼくが言いたい事は、
ヘンな覚え方の続きが気になって仕方がないということである。
あと、このM.K.さんの日記からリンクされている元素の擬人化も、面白い試みであると思う。いや、真面目に。