白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2004.7.24

 今日は朝からいろいろな物が届いた。

 まずは石鹸である。以前ここにも書いたが、父の凝っている炭の石鹸がアトピーに良いとのことで最近使っていて、これのストックがいつの間にかなくなったので、送ってもらったのである。石鹸が入っているだけにしては大きな箱で届いたのではてなと思って開けてみると、シャンプーも入っている。のみならず、どちらも大量に詰められている。どちらの箱にも六個入りと書いてあるから、喜んで電話口で「二ヶ月くらいもちそう」などと伝えたが、いざ石鹸を開けてみると二個セットが六個入っており、二ヶ月どころか一年近く凌げそうだ。ありがたいことである。

 次に、大分前にオーダーしたHuman Interface Guidelineの復刻本が夕方に届いた。以前にも手短にではあるが紹介したから重複は避けるが、パラパラと見てみたところ流石に期待を裏切らなさそうな内容である。順次読んでいくことにしよう。もし一ヶ月後くらいにここが改装されていたら、この本に影響を受けたと思って良い。まあ、ちゃんと成果が反映されているかどうかはまた別の話なのだが。

2004.7.30

 何だかバタバタしているうちに7月も終わりである。早いものだ。我らが広島カープもいつのまにか最下位に転落しておる。鯉のぼりの季節までなどと言われるようになって久しいが、まったく何とかならんものだろうか。とりあえず投手陣、奮起せよ。

 RealNetworksがiTunes互換のDRM技術を開発したとかで、林檎会社がカンカンになっている。iTMSの売上が落ちるかもしれないというので恐々としているのかもしれないが、iPodの販売台数がさらに倍という事態も充分考えられるわけであって、何をそんなに怒っているのか、ぼくなどにはちょっと理解できない。もっとも、昔から自社技術をライセンスするのが大嫌いな会社であるから、それも仕方のないことなのかもしれない。

 iPodといえば、先日のiPod mini発売イベントは大盛況だったようだ。ぼくも緑色あたりの奴が一台欲しいなぁ。在庫があれば、だけど。

2004.8.4

 昨日、コピーライターN.F.氏の事務所にお邪魔して、淀川の花火を見物してきた。氏の事務所は南堀江にあるのだが、ビルの合間からうまい具合に花火が見える。淀川からは結構な距離があるらしいが、それなりに大きく見え、爆音も響いてきた。

 花火大会が終わる頃、サッカー日本代表がバーレーンに逆転され、観賞会はそのまま応援大会に移行した。結果はご存知の通り劇的な再逆転を果たして勝利したわけだが、それまでの間、まったりと応援も盛り上がり、なかなか面白かった。

 缶ビールを五本と勝利祝いのシャンパンをほんの少し呑んだだけなのだが、今日になってもアルコールが抜けず、頭が痛い。朝からずっと緑茶をガブガブ飲み、少しはマシになったものの、それでも頭の芯が疼いている。昔、保健体育の教科書だか何だかに宿酔いの模式図が載っていて、そこにアセトアルデヒドがコンペイトウの親戚のような姿で描かれていたが、これは実に的確な表現であるというべきで、ズキーンと痛みが走る度に脳の毛細血管を確かにトゲトゲの物体が通過しているかのような錯覚に陥る。

 それにしても、どうにも酒に弱くなったようだ。せめて日本酒なら頭が痛くなるようなこともないのだが、花火大会にはビールが最適なのだから仕方がない。今日はおとなしくしていることにする。

 

2004.8.5

 最近不満な事。

 Mac OS XのFinderが10.3になっても相変わらずどこかマヌケである。全体的には、10.0の頃に比べ、かなり良くなったと思う。Mac OS 9までのFinderよりも直感的でなくなった、ファイルの実在感がなくなったというような声は旧来のユーザーからちらほら聞かれるところであるが、またぼくもそれはその通りだとは思うが、一方で、ここまで膨大な数に膨れ上がったファイルを効率的に管理するには、やはりMac OS X方式のFinderの方が優れている。ClassicなFinderはシステムフォルダの中身がせいぜい十個という時代に設計されたものであるから、やはりそういうシステムを管理するように出来ているのである。

 管理方式の優劣はともかく、PantherのFinderがマヌケなのは、カラム表示にしているときである。ご存知の通り、カラム方式では、テキストファイルや画像ファイル、ムービーファイルなど、既知の形式のファイルについてはFinderが自動的にプレビューしてくれる。してくれるのはいいのだが、ダブルクリックしてオープンする瞬間にもわざわざファイルをロックしてプレビューしてくれやがるものだから、開いたファイルがしょっちゅう「書き込み不可」になるのである。ぼくの場合、開くのはテキストファイルがほとんどであるためか、このトラップにひっかかりやすく、実にイライラする。蒸し暑いものだから余計にイライラする。

 Tigerでは治しておくこと。宿題である。

2004.8.6

 原爆の日である。たまたま朝から起きていたので、8:15に黙祷しようと思っていて、8:10まではじっとしていたのだがなかなか時計の針が進まず、暇を持て余してメールを書いたりなどしているうちに、油断して8:20になってしまった。仕方がないからそれから黙祷したが。

 夜、金曜ロードショーで『天使にラブソングを』をやっていたのをちらっと見た。エンターテイメントとして作られているだけあって、誰が見ても楽しめるように出来てはいるが、あの作品を見て心の底から笑い、ホロリとするには、やはりキリスト教の文化的背景が必要であろう。もっとも、それはこの作品にのみ言えることではない。何だかんだ言って西洋社会はまだキリスト教の呪縛下にある。

 どんな人間でも何かに対する信仰を持っているものだ。信仰とはいかないまでも、人間は常に精神的な拠り所を求め、また無意識に保有している。逆に言えばその拠り所に自身を縛りつけているのである。フロイトはそれをスーパーエゴと呼んだ。宗教ないし信仰は、スーパーエゴを形成するのに重要な役割を演じる。いわば全ての人間は自分の中に自分の神を持っているのである。

 科学万能を信じて爆弾を造った研究者も、強いアメリカを信じて命令を下した大統領や軍人も、神州不滅を信じて生きた日本人も、皆一様に正しかったはずである。実際、その結果はエゴのぶつかりあいである戦争の終結につながった。不幸だったのは、その爆弾がちょっと強力すぎて、また厄介な置き土産を残していったことだ。

 もちろん当時の人間は戦慄しただろう。言いようのない恐怖を覚えたことであろう。その恐ろしさは決して忘れていいものではない。だが一方で、力による恐怖を信じる人間も確実に存在する。従って、核兵器をただ恐れ、その恐怖のみを基本として廃絶運動を展開しても無駄である。左様な過激な人種をいたずらに喜ばせるだけだ。いずれ中東辺りに第二のヒロシマやナガサキが出来上がる。

 といって、もちろん無関心であるのも良くない。大切なのは大量殺人が恐るべき罪深い行為であることを、力による正義を信じている連中も含め、人類全体のスーパーエゴで共有することだ。そのためなら核兵器という邪神を崇め、あるいは糾弾するのも、重要な意味を持ってくるはずである。

 少なくとも我々一般人はもっと核兵器や原子力について知るべきであろう。この週末はウィキペディアあたりを深く読んでみてはいかがだろうか。