白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2005.10.24

 気付いたら今月はちっとも日記を書いていなかった。なかなか珍しいことだ。きっと日記の神様が出雲に出張なさっていたのだろう。

 急に寒くなったおかげで、ぼくも猫も風邪をひいてしまった。うちの猫達は毎年この時期になると決まって風邪をひく。順番にひいてまわる。不思議なことに、二匹以上同時にひくことがない。一匹だけがくしゃみをしていて、他の七匹は平然としている。かと思うと、昨日まで元気だった猫が、今日になると風邪をひいている。くしゃみをしていた猫はケロリとしている。

 今週末、関西オープンソース2005が開催される。例年通りユーザー会も出展するので、ぼくも例によってブースへ手伝いに行く。今年は大学生のT.N.君が中心になって頑張ってくれている。OpenOffice.orgは2.0の英語版が正式リリースとなり、日本語版もしばらくしたらリリースされるはずである。OOo2.0になってさらに洗練され、いよいよ一般ユースではMS Officeが不要になりそうだ。

2005.10.25

 macromedia STUDIO 8日本語版が先日発売された。おちおちしているとFlash MXからアップグレード出来る製品がなくなると思って、早々に購入したのだが、どうもマクロメディアのアップグレードポリシーが変更になったようで、Dreamweaver 3からでも可能なようである。それなら、うちではアップグレードパスが計2本あることになる。とりあえずはいいけど。

 主な目的はFlash Pro 8へのアップグレードである。それならFlash Pro 8のアップグレード版を買えば良さそうなものだが、どういうわけだかSTUDIOとの価格差がほとんどなかったので、折角だからSTUDIO 8にした次第。で、折角買ったのだからということで、Dreamweaverを使ってみた。

 ぼくはmiとFinderとFetchがあれば満足な人間である。正確に言うと別に満足している訳でもないのだが、これ以上に使いやすい環境に巡り合ったことがないので、現状では左様な環境で作業している。WYSIWYGエディタはコードが美しくないばかりか使い勝手もよろしくないので、まともに利用したことは一度もない。

 今回の場合も、WYSIWYGエディタとしての機能は、DWに対してまったく期待していない。テキストエディタをタブで管理出来たり、サーバとのやりとりが大変楽であるという評判を聞いたので、専らそういうツールとして利用しようと思っている。

 当初はテキストエディタが手に馴染まず苦労したが、慣れるとこの上なく快適だ。テキストエディタ自体の出来はまあ普通というか、正直miの方が使いやすいと思うが、サーバとのやりとりを半自動化出来ることの恩恵は、思った以上に幸せな感じである。やるじゃないか、マクロメディア。DW3のタコさから比べるとまさに隔世の感がある。

 と、まあ快調に使っていたのであるが、PHPを書き始めると途端に問題にぶつかった。半角の\が全角¥に勝手に変換されてしまうのだ。設定を都合53回ほど虱潰しに調べたが、関連する項目が見当たらない。いい加減イライラしてきたのでGoogle様にお伺いをたてると、DW MX 2004の頃からのバグだそうだ。しかも、この回避方法はどうもDW 8だと無効っぽくて、さっきからもう何時間も円マークと格闘している。

 アホか。メジャーバージョンアップなんだから、とっとと直しとけ。

2005.10.31

 昨日、F、Tご両家の結婚式とその祝賀パーティに出席した。新郎のT.F.とは高校以来の友達である。新婦のMさんは、「新郎御友人」として列席した他のほとんどの連中同様、ぼくにとっては未知の女性である。と思っていたら、式の後でMさんに「大学の頃に、一度ご挨拶して以来ですよね(白林檎註:多分バンドの練習のときかステージ本番の後であろう)」と言われ、とりあえず何食わぬ顔で「そうですね。おめでとうございます」と返しておいたが、その実、背中では冷たぁい汗が幾筋も流れていた。

 チャペルで挙式後、いわゆる披露宴は催されず、新郎新婦とそのご親族ご一同だけで会食をしたようだ。その間、我々はテキトーに時間を潰し、夕方から祝賀パーティが始まった。

 式もパーティもとにかくめでたくて、またドラマチックであった。ぼくも二人を心から祝福し、かつその場に集まった昔からの友達と話に花を咲かせていたが、いつの間にか結婚していたのが何人かいて──ぼくは携帯電話をいきなり解約したり新しくしたりしたために音信不通となり、誰を経由しても連絡が取れなかった由。なのでこの機会に可能な限り多くの友達と電話番号を教えあったのだが、そのせいかあっという間に電池がなくなった──心底驚かされた。もっとも、驚愕というキーワードで言うならば、ぼくが列席したことが最大のサプライズだったらしい。

 パーティの後は時間に余裕のある連中で集まって、三次会へとなだれ込んだ。この三次会というのがつまり酒宴で、流石に昔のようなバカ飲みはしなかったけれど、皆本当に雰囲気が変わっておらず、何だか気を抜いたら涙が出そうだった。もちろん言葉のアヤというヤツである。

 とはいうものの、今振り返ってみるとかなりの量を飲んでいたようで、今日は朝から頭が重い。色々思うところはあるのだが、とりあえず今日のところはこれくらいで筆をおくことにする。

2005.11.3

 UMAと称される動物のグループがある。ウマではない。ウマなら毎週府中のトラックで競走している。

 日本で作られたこの造語はユーマと発音し、未確認動物という意味を持つ。「ぼかぁ確かにこの目で見たんです」「この足跡は間違いなくビッグフットのものだと私は思います」「いるとしか言えない」等々、証言や状況証拠の如き物は相当数が報告されているにも関わらず、科学的な調査となると突然雲隠れしてしまう動物の総称である。要するにネッシーとかクッシーとか、イエティとかツチノコとか、まあそういった連中のことだ。

 こういった動物の話や、それを求めてジャングルに分け入っていく探検隊の話などは、一般に荒唐無稽なものとして受け止められることが多い。しかし、オカピやコビトカバ、マルミミゾウなど、少数ではあるが、UMAと言われていたものが科学的に存在を確かめられた例もある。最近では謎の吸血生物チュパカブラが中南米を騒がしている。

 アフリカはコンゴ共和国には、モケーレ・ムベンベというのがいる。ぼくが最初にこいつのことを知ったとき、その本には「ネッシーと似たような姿で、コンゴに広がる広大なジャングルの奥地、人跡まれな湖に棲息している」というようなことが書いてあった。つまり、首長竜のような生物として扱われていた。

 ところが最近の研究では、どうもそれは調査隊の早合点だったらしいことがわかってきた。「モケーレ・ムベンベ」というのは現地で話されているリンガラ語で、その意味するところはちょっと忘れたが、日本語でいうと「化け物」とか「怪物」といった、割と意味の広い言葉であるらしい。一反木綿やのっぺらぼうや、とにかくそういった連中に遭遇すると、大抵の日本人はいちいち「一反木綿だぁ」などと騒いで逃げ出しはしない。「化け物が出たぁ」と叫んで、腰が抜けそうになりながら必死に逃げることだろう。モケーレ・ムベンベという言葉は、現地の人々にとって、つまりそのような言葉らしいのである。

 何だかこれは将来性がなさそうなUMAだなぁなどと思いつつ、ふとウィキペディアを見ると、どうも最近では「一反木綿」とか「のっぺらぼう」に相当するような、個別の名称も収集されているという。詳しくはウィキペディアのモケーレ・ムベンベの項をご参照いただきたい。以下、その名称について冒頭部分を抜粋してみよう。

 エメラ・ントゥカはリンガラ語で、「水中のゾウ」、「ゾウ殺し」といった意味の言葉……(後略)

 ムビエル・ムビエル・ムビエルは、リンガラ語で「背中に板が生えた動物」の意味……(後略)

 ングマ・モネネは、リンガラ語で「巨大な大蛇」の意味……(後略)

 どうだろう、「化け物」よりはもうちょっと具体的になってきたとは思われないだろうか。なんでもコンゴのジャングルというのが、未調査地域が実に総面積の80%ということだから、こういった妙チクリンな連中がひょっこり顔を出してもおかしくない。調査隊の方々には是非とも頑張って、モケーレ・ムベンベを発見していただきたいものである。

 それはそうと、「ムビエル・ムビエル・ムビエル」が「背中に板が生えた動物」という意味になる理屈がよくわからない。リンガラ語に通じている方と会う機会があったら、是非ともこの辺についても質問してみたい。

2005.11.7

 小春日和というにはちょっと時期が遅いような気がするが、ともかく今日は暖かい一日だった。目が覚めてみると相方が右手に梅干をひとつ持っていて、食べないかと言った。相方の母君はときどき梅ジュースを作るのだが、そこに漬かっていたものだという。曰く「漬け過ぎて、かなり甘いけど。」

 漬かっていたものだから梅干というよりは梅漬と呼ぶべきなのだろうが、まあこの際そんなことはどっちでも良い。梅干だろうが梅漬だろうが、ぼくの大好物であることには間違いない。そこで、一も二もなくいただくことにした。丸のまま頬張ると、「わ、本当に食べた」と驚かれた。こんな美味いものを食わずに放っておく方がどうかしている。まだまだ沢山あるから、どんどん食べてくれと言われた。相方から見るとよほど見事な食いっぷりだったのだろう。

 梅といえば、ぼくの母も昔はよく梅酒を造っていた。今もそうなのかどうかは知らない。造るときは大きなガラスの容器の七、八分目くらいまでホワイトリカーを注ぎ込み、氷砂糖を少量、それから青のままの梅の実をゴロゴロと入れていた。梅が入ると容器の口の辺りまで酒で満たされるという案配である。その後、これを台所に備え付けの、床の一部がパカッと開く収納(名称がわからん)に入れて、そのまましばらく寝かせておく。間違っている箇所もあるかもしれないが、大筋ではこのような手順だったと思う。

 あるとき、二年間かけて熟成させた梅酒の容器が、一口も飲まれぬうちに割れてしまったことがあった。もしかしたらこれがトラウマになって、最近は造るのを止めてしまったかもしれない。

 味のしなくなった梅の種をしゃぶりながら、そんなことを考えていた。それから、近所のスーパーへ出掛けて行って、カンパンを二缶買った。