相方の父親が退院されるので、病院まで車を出した。病院は隣の市にあって距離的にはなかなか近いのだが、電車でいくと恐ろしく大回りになる上に運賃が不当に高い。一度自動車でお見舞いに行ったら拍子抜けするほど近かったので、荷物も多いことだし、今日は総出でお迎えに行ったわけである。
退院は大抵午前中のイベントである。しかも 10:00 から栄養士による食餌療法の説明があるとかで、なかなか慌ただしい。さらに今日は月初めで、道路は仕事の車で殺気立っている。制限速度 50km/h の道をビュンビュンと飛ばす車ばかりで、流れにのるとぼくもスピードを出さざるを得ない。最初は恐かったが慣れるとどうということもなく、一時は時速 700km を記録したほどだ。
しかし病院まであと五分というところで渋滞に捕まり、少々遅刻してしまった。まあ話はあらかた聞けたようなので大丈夫だろう。栄養の話などぼくが聞いてわかるはずもないので、松井のデビュー戦をぼんやりと眺めながらしばし待っていた。その後テレビにも飽きたので、ナースステーションで看護婦としばし談笑。
それにしても今日から新年度である。ぼくの弟も今日から社会人、会社勤めの身となる。ぼくはあまり社会人の自覚がなく、なにしろ就職はおろか就職活動すらしたことがないからなのだが、かような状況で弟が就職すると何だか不思議な気分だ。そういえば赴任先はどこなんだろうな。ロンドンあたりだったら夏に遊びに行くのだが。
というわけで、ホラを全て判別できたら百円進呈。
運転にも少しずつ慣れてきた今日この頃、客先へ自動車で行く。道中は特に問題ないもののナビゲータが甚だ頼りにならず、周辺に着いてからどこに駐車したものか悩み、とりあえず路肩へ置いて相方がお客さんに聞きに行った。すると、すぐ前の歩道が車を置ける感じに広くなっているので、そこへ止めたらいいとのこと。ぼくが逡巡していると、そのお客さんは自動車の専門家で、「ぼくが入れよか」と言うや否やあっというまに車を回し、ものの見事に駐車してくださった。
帰途、夕食をどこかでとろうということになり、こういうときの常としてぼくたちは回転寿司屋へ行くのであるが、道沿いにある店は長蛇の列が出来ていたし、別の店は反対側の道沿いだったしで、結局入れず、近くまで帰ってきてからファミレスへ。実はちゃんと駐車できるかどうかものすごく不安だったものの綺麗に入り、しかも最難関である自宅の駐車場でもほぼ一発で成功。おお。ぼくも案外進歩してるじゃないか。
しかし最近よく車関連の悪夢を見る。ぶつかったり何かの違反で白黒の車につかまったり、ことごとく縁起が悪い。ユングによれば夢は無意識からの警告であるということだが、きっと慢心するなという戒めなんだろうなぁ。何しろ昨日は少し擦ったからな、中央分離帯の辺りにあるあの縞々のゴムか何かで出来ている棒に。桑原々々。
三谷幸喜『みんなのいえ』を TSUTAYA で借りてきて鑑賞。相方が観たいと言ったからである。
この人の作品は以前に『ラヂオの時間』を観たことがあるが、他は知らない。テレビドラマも何本か手がけているとのことで、そちらも映画同様面白かったと相方は言っていた。しかしテレビドラマは滅多に観ない(というかまともに観たことのある作品は一本もない)ので、そちらはとんと縁がない。
「限られた時間と空間の中で展開されるコメディ」が真骨頂と評される三谷幸喜、要するにこの人の作品は舞台向けなんだろうなあ、と思ったりする。これまでの作品も舞台を前提に台本を用意したら、きっとより面白いものになるはずだ。といっても別に三谷さんの映画監督としての力量に疑問符を付けているのではなくて、『ラヂオ』も『みんなのいえ』も面白かった。しかしいずれも舞台風に作られているから、ぼくの場合、鑑賞するのに余分なパワァが要る。ので、あまり自分から進んで三谷作品を見ようとは思わない。見始めてしまえば楽しめるんだけど。
で、『みんなのいえ』であるが。
登場人物達が(例によって)少なからずエキセントリックなためにコメディに仕上がっているけれど、創造と制作の対立構造というテーマは仕事柄かなり興味深かった。キーとなる三人の男、放送作家と大工とデザイナーは、日常のそれぞれの制作現場でそれぞれの葛藤を抱えている。この日記は別に映画評論じゃないから細かくは書かないが、この映画に於ける家の新築現場は、つまるところ彼らにとって制作に対する葛藤から解放されうる唯一の場所として用意されているのである。エゴが強調して描かれるのもそのためだし、激しい対立が生まれるのもこれが原因だ。そして、だからこそ映画作品として成立しているといえる。
そういえば『ラヂオの時間』も創造者と制作者の対立がテーマであった。しかしあれはまさに舞台芸術で、映画の尺では人間模様が入り乱れすぎる。『みんなのいえ』の方が大分ストレートに楽しめた。
小難しいことを書いたが、要するに面白かったということである。ときどきはこういう小難しいことを書いておかないとアタマとユビサキがさび付くんである。
それから、ココリコ田中は漫才師よりもコメディ俳優の方が向いていることを発見。どうする遠藤。
ようやくイラク戦争が終わった。フセイン大統領の銅像が引き倒されるシーンはまさに歴史の教科書的な感動を秘めている。イラクという国にとっては明らかに時代の節目といっていいが、その犠牲は大きすぎたのではないかと今でも疑問だ。
さてフセイン大統領であるが、生きているのやら死んでいるのやら。ビンラディン氏といい、どうもアメリカ、というかブッシュ政権は詰めが甘い。そんなザマで目的が別の所にあったのかと勘ぐられても知らないぞ。
何にしても、終わって本当に良かった。人類に栄光あれ。
ビデオ編集にはかなり慣れてきたが、ビデオのマスタリングやダビングに関してはまだまだ未熟であるなぁ、と感じる今日この頃。ようやく一仕事片付いた。苦労しただけあってダビングテープの品質も良い。内容に関してはぼくはほとんど手を出していないが(口なら少しだけ出したのだが)、相方が頑張っていたので、なかなかよい仕上がりである。
それでもなかなか〆切ラッシュは終わらない。今日も一件せっつかれた。そろそろ一人くらい助っ人がほしいところである。しかしそれには資金がいるからなぁ。雇ったらおいそれとは辞めさせられないだろうし。
そういえばいつの間にか野球が開幕している。広島も阪神も絶好調ということもないが、不調ではないようだ。メジャーも始まっているようで、いや、松井はすごいね。大したものだ。デビューも鮮烈だったし、その後の活躍も素晴らしい。頑張れ。