三谷幸喜『みんなのいえ』を TSUTAYA で借りてきて鑑賞。相方が観たいと言ったからである。
この人の作品は以前に『ラヂオの時間』を観たことがあるが、他は知らない。テレビドラマも何本か手がけているとのことで、そちらも映画同様面白かったと相方は言っていた。しかしテレビドラマは滅多に観ない(というかまともに観たことのある作品は一本もない)ので、そちらはとんと縁がない。
「限られた時間と空間の中で展開されるコメディ」が真骨頂と評される三谷幸喜、要するにこの人の作品は舞台向けなんだろうなあ、と思ったりする。これまでの作品も舞台を前提に台本を用意したら、きっとより面白いものになるはずだ。といっても別に三谷さんの映画監督としての力量に疑問符を付けているのではなくて、『ラヂオ』も『みんなのいえ』も面白かった。しかしいずれも舞台風に作られているから、ぼくの場合、鑑賞するのに余分なパワァが要る。ので、あまり自分から進んで三谷作品を見ようとは思わない。見始めてしまえば楽しめるんだけど。
で、『みんなのいえ』であるが。
登場人物達が(例によって)少なからずエキセントリックなためにコメディに仕上がっているけれど、創造と制作の対立構造というテーマは仕事柄かなり興味深かった。キーとなる三人の男、放送作家と大工とデザイナーは、日常のそれぞれの制作現場でそれぞれの葛藤を抱えている。この日記は別に映画評論じゃないから細かくは書かないが、この映画に於ける家の新築現場は、つまるところ彼らにとって制作に対する葛藤から解放されうる唯一の場所として用意されているのである。エゴが強調して描かれるのもそのためだし、激しい対立が生まれるのもこれが原因だ。そして、だからこそ映画作品として成立しているといえる。
そういえば『ラヂオの時間』も創造者と制作者の対立がテーマであった。しかしあれはまさに舞台芸術で、映画の尺では人間模様が入り乱れすぎる。『みんなのいえ』の方が大分ストレートに楽しめた。
小難しいことを書いたが、要するに面白かったということである。ときどきはこういう小難しいことを書いておかないとアタマとユビサキがさび付くんである。
それから、ココリコ田中は漫才師よりもコメディ俳優の方が向いていることを発見。どうする遠藤。
ようやくイラク戦争が終わった。フセイン大統領の銅像が引き倒されるシーンはまさに歴史の教科書的な感動を秘めている。イラクという国にとっては明らかに時代の節目といっていいが、その犠牲は大きすぎたのではないかと今でも疑問だ。
さてフセイン大統領であるが、生きているのやら死んでいるのやら。ビンラディン氏といい、どうもアメリカ、というかブッシュ政権は詰めが甘い。そんなザマで目的が別の所にあったのかと勘ぐられても知らないぞ。
何にしても、終わって本当に良かった。人類に栄光あれ。
ビデオ編集にはかなり慣れてきたが、ビデオのマスタリングやダビングに関してはまだまだ未熟であるなぁ、と感じる今日この頃。ようやく一仕事片付いた。苦労しただけあってダビングテープの品質も良い。内容に関してはぼくはほとんど手を出していないが(口なら少しだけ出したのだが)、相方が頑張っていたので、なかなかよい仕上がりである。
それでもなかなか〆切ラッシュは終わらない。今日も一件せっつかれた。そろそろ一人くらい助っ人がほしいところである。しかしそれには資金がいるからなぁ。雇ったらおいそれとは辞めさせられないだろうし。
そういえばいつの間にか野球が開幕している。広島も阪神も絶好調ということもないが、不調ではないようだ。メジャーも始まっているようで、いや、松井はすごいね。大したものだ。デビューも鮮烈だったし、その後の活躍も素晴らしい。頑張れ。
何か知らんが暖かくなったと思ったら早速蚊が飛んでいる。一体、この街はどうしてこんなに蚊が多いのか。ぼくのスーツは春、秋、冬のスリーシーズン着られるタイプのものだが、ここに棲息する蚊は春、夏、秋のスリーシーズン対応で、随分先進的といおうか、憎たらしいといおうか。日本で一二を争う汚染度を誇る川が近所にあるからだろうか。
そういえばこの川、ときどき水面が虹色に反射していて、どこかの工場が排水を流すか何かやらかしたのだろうと思っていた。しかしゆっくり考えてみると、これはボウフラ駆除のための油膜ではなかったろうか。水面に油膜を張ると、油膜の下に空気が通らなくなる。お茶が酸化しないのと同じ理屈で、ボウフラを窒息させようという魂胆なのではないかと思うのだが、まあどうでもよろしい。とにかくこの蚊を何とかしてくれ。
ぼくは蚊が嫌いである。別に蚊という昆虫自体は嫌いではないが、血を吸ってやろうと身辺で様子を伺っている様子や、寝ているときに耳元をプーンと飛ぶ迷惑極まりない行動などは、末代まで祟っても祟り足りないくらい憎たらしい。特に耳元を飛ぶの、あれ本当に何とかならんか。眠っていても一発で目が覚めるのだが。血を吸う蚊は産卵期のメスのはずだから、こいつらを片っ端から叩き潰すなり蚊取り線香で落とすなりすれば、多少なりとも蚊が少なくなるのではと、アホなことまで考えてしまうほど辟易しているのである。
今日はほぼ徹夜明けで客先に行っていたから、頭フラフラ体クタクタなのであるが、蚊が耳元を飛ぶおかげで何度も夜中に目が覚めた。仕方がないからこうして日記を書いているというわけだ。
畜生、明晩はベープか何かを引っ張り出してきてやるからな。見ておれ。
実家よりマンドロン・チェロが到着。何かというと楽器なのであるが、どういうものかを説明するとなるとまずマンドリンという楽器から説明しなければならず、気の長い話になるのでやめておく。
ぼくは趣味で音楽をやっていて、高校の時にはマンドリンオーケストラのクラブに所属していた。大学のときも一年間ほどいたような気がするが、バンドの方が
面白く 忙しくなってきたのでたちまち幽霊部員と化し、そのとき楽器は高校の後輩に貸し与えたのである。その後、ぼくの楽器は後輩達の間を転々とし、最終的には大学の S 君の手元にあった。
ちょうど同じ頃、弟がぼくと同じ高校に入学、さらに驚いたことには同じクラブに入部した。少し余談になるがぼくの学校は妙に上下のつながりの強い学校で、つまり後輩の面倒見のいい人間が集まっている。連帯感が必要以上に強く、何しろ初対面の酒の席でも、お互い KO 大学(イニシャルですよ)にいたと言えばそれだけで話が弾み、挙げ句肩を組んで応援歌などがなりはじめ、周囲に多大なる迷惑をかけたりする。
とにかくそういうわけで、弟経由でぼくの楽器を S 君が使っているということを聞いたのであるが、後日 S 君から、自分は今年卒業である、卒業のタイミングまで貸しておいていただけないかという申し出があった。で、めでたく S 君は卒業し、このたび楽器が数年ぶりにぼくの手元に戻ってきたという次第である。
早速開けてみたら、後輩からの簡単な手紙など入っている。顔も知らない後輩から手紙を受け取るというのも不思議なものだ。それから図書券が二枚と音楽ギフトカードが一枚。スペア弦が一セット。しかし肝心要のピックが入っていない。仕方がないからギターのピックで弾いてみたが、弾きにくいことこの上なし。今度心斎橋の楽器店にでも買いに行く心算であるが、あるといいな。あるよな、いくら何でも。大阪にもマンドリンのクラブがあるんだから。
覚えていた曲もあれば忘れている曲もある。懐かしく、少し寂しい。