寒い。いくら眠っても眠り足りない。春雨をむさぼり食いたくなる。冬到来。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』の完結編「王の帰還」では、重要なシーンがものの見事にカットされたらしい。あろうことかあるまいことか、一作目から堂々と悪の親玉を張っていた魔法使いサルマン(クリストファー・リー)が、この三作目には出てこないというのだ。ぼくは原作を読んでいないからいまいちピンとこないのだが、スラドには原作のファンが多く、関連トピックは蜂の巣をつつこうとして棒を拾ったらそれがヘビだったくらいの騒ぎになっている。
議論を眺めているうちに、どうも映画は問題の三作目に限らず、様々なシーンが大幅に削られたり変更になったりしているらしいことがわかった。一方、原作ではそれほど深く触れられていないにも関わらずしっかりと映像化されているエピソードもあるようで、こうなるともはや別々の作品と考えざるを得ない。『指輪物語』、やっぱり一度読んでみたいな。
といっても、ついこの前新刊を仕入れてきたばかりなので、まずはそちらを読む時間をとりたい。けらえいこ『あたしンち』最新刊は、まあこれは漫画だから一時間足らずで読了したが、一緒に買ってきた北杜夫『消え去りゆく物語』は、ゆっくり読みたい本なのだ。考えてみれば新潮文庫を手にするのも久しぶりである。ここのところ専門書だの入門書だの、そんなのばかりだったからな。たまには小説を読まないと心が荒んでいけない。
コンピュータな職業(e.g. プログラマ)の人が書いた文章にはコンピュータ専門用語がちょくちょく出てくる。ここまでは別に驚くようなことでもない。面白いのは、多くの左様な文章に於いて、専門用語であるところのカタカナ言葉を、独自の日本語に意訳しているところだ。例えばキーボードなら鍵盤入力装置に、マウスならネズミ型入力装置になるという案配。
日本人がなかなかコンピュータ用語に馴染めないのは、カタカナ言葉をそのままカタカナの言葉として理解しようとするからである。デスクトップという言葉ひとつとってみても、多くの日本人にとってこれはあくまで「デスクトップ」という言葉ないしモノであって、英語圏の人々が一発で理解できる「机の上」という概念からは、どうしても少し離れてしまう。さらに、これが CPU だの OS だのとアルファベットの略語になると、お手上げになる人数は激増する。そういうわけで、専門用語を意訳するのは、意味がないように見えて、その実核心をついた行動だと思うのである。
面白いからこの日記でもこれからそうすることにする。多分、ぼくが飽きるまで続く。ツッコミ不要ということでヨロシク。
規則正しい生活は規則正しい食事からという真理に気付いてハタと膝を打ち、かつ痛感している白林檎である。
ダイエーで昨日、今日と駅弁フェアのごときものを催していたようだ。キャットショーを見学に行っていた相方と駅で待ち合わせ、夕食のネタを探しにダイエーをのぞいたところ、何やら入口前が騒がしいので、それと知れたのである。つれづれなるままに眺めてみると、なるほど、地方によって実に様々な弁当がある。少々割高だが夕食はこれでもいいなあと眺めていたが、同じようなことを考えているのであろう、かなりの人数が弁当を物色していた。なにしろこのご時世である。駅弁などという牧歌的なシロモノは普段どころか
旅行中でさえ なかなか食べる機会がない上、探そうと意図しない限り巡り会うことすら難しい。もはや地方名産品と呼ぶべき類なのである。
左様な現状は潜在的駅弁ファンにとっても機会滅失の危機だが、弁当を販売する会社側にとってはより深刻な状況であるに違いない。主催がダイエーなのかどこかの商社なのか弁当屋なのか知らないが、実にうまいことを考えたものだ。
ということで、夕食は駅弁に決定。ぼくは広島駅の「牡蠣しゃもじ弁当」、相方は北海道の海産物がたくさんのったちらし寿司を選んでいたが、名前は忘れた。これは駅ではなく空港の弁当ということで、駅弁とは微妙に違うような気がしてならないのだが、箱にはどこにも駅弁とは書いていないから、まあセーフということにしておこう。
弁当を食べたのが夕方の五時頃。それから、相方は徹夜明けであったので、早々に八時頃就寝。ぼくはというと昼頃起きたもので、かゆみ止め兼トランキライザーを飲んでもなかなか眠気が来ない。なんだかんだで夜半を過ぎてしまった。こうなると、自然の摂理として、腹が減ってくる。気が付いたらセブンイレブンにいて、ハムカツサンドなどを買っている。
満腹にはなったが、これで満足して寝たりしたら大変だ。胃が荒れる。もう二時間は起きていなければなるまい。まあこのようなわけで、規則正しい生活は規則正しい食事から、という真理に思い至った次第である。やれやれ。
某所の電子郵便送付用入力欄を実装中、別に何てことのない作業だったはずなのだが、文字符号化規則の変換部分がどうにも不可解な例外を吐く。結局別の手段をとって解決したが、あれは一体何だったんだろうか。というか、専門用語に限定したところでいちいち日本語にして回るのは非常に面倒なものだな。
あまり面白くないし 、さて、どうしたもんであろう。まあいいか、もう少し続けてみよう。
日本語にして回るといえば、翻訳家とか通訳とか、そういった職業の方には本当に頭がさがる。ぼくもなんとなく会話が出来る程度の英語力はあると思っていたが、これは大いに間違いであった。「限定された状況でなら」ある程度のコミュニケーションがとれる「場合がある」という程度だということを、先日イヤというほど思い知らされた。H さんがいらっしゃらなければとても L 氏との意思疎通など果たせなかったに違いない。
いや、これはぼくに限った話であって、K さんや N さんは普通にしゃべっておられた。すげーなーと口を開けて見ているより他に術がないというのも、なんともアレな話である。読み書きなら何とかなるんだがな、などと典型的日本人的セリフをぼやいている場合ではない。やはり人間勉強だ。とりあえず英語音声英語字幕で映画を見るところから始めることにする。