ときどきNHKが気紛れに放送するのを除けば、大阪でカープの試合中継があるのは対阪神戦か対巨人戦のときくらいのもので、テレビで観戦できる日は実に少ない。その意味では讀売の強引さもなかなかありがたいものである。
テレビで観戦していて驚いた事が二つあった。まず一つ目は野球とはまったく関係がない。日曜洋画劇場の予告での出来事なのだが、ジュラシックパークの三作目が存在していたとは知らず、びっくりしてもう少しで銀河高原ビールを吹き出すところであった。
何考えてんだ、スピルバーグ。
もうひとつは高橋由伸の応援歌が『ライディーン』だったことだ。『ライディーン』といえばひとつしかない。YMOの『ライディーン』である。パチンコ屋のBGMにも使われるくらい威勢の良い曲だが、演奏されているのがメロディだけ、それもトランペット二本という音楽的に寂しい構成だったもので、景気がいいんだか悪いんだかよくわからぬというテイタラクであった。高橋由伸の調子が悪かったのもきっとこのせいに違いない。五月に入って調子を上げてきたのは、大分耳が慣れてきて、意識の外に放り出せるようになったからだろう。
ところで先日からテレビのリモコンが行方不明である。しかしながらちっとも困らない。テレビをほとんど見ないというと何となく健康なようであるが、その分Macにかじりついているので、少しも健康的ではない。また休眼日を作らなきゃなぁ。
Winnyを作った47氏が逮捕された。少しでも見識のある人なら、これがいかに愚かしいことであるかわかるはずだ。単に道具を作ったに過ぎない人間が逮捕されるなど、前代未聞である。カメラ付き携帯電話の普及によって書店等でいわゆるデジタル万引きが増加しているらしいが、これがより深刻化した場合、警察当局はソニーやシャープや松下や三菱や日電や京セラや(中略)を検挙するつもりなのだろうか。
楽曲を不特定多数と共有する事は、現時点では違法であると言わざるを得ないだろう。公衆送信権を侵害している事は明らかだからである。このインターネット時代にそもそもそのような権利をふりかざすのがおかしいという向きもあるが、悪法といえど法は法、法治国家ニッポンに暮らす以上は、それなりに法律を守るべきだ。もちろん、とっとと法改正してほしいものではあるが。
とはいえ、レコード業界は、現在の状況を悪く考え過ぎである。ぼくはP2Pファイル共有ソフトを利用した事がないからよくわからないが、2ちゃんねるなどを観察していてわかったことがある。彼らの意識において、P2Pファイル共有の利用とは、その名に反して「共有」ではなく、純粋に「入手方法」なのだ。つまり、わざわざ新星堂などへ足を運んでCDを買うという方法から、椅子に座ってマウスを動かしているだけで楽曲が手に入る方法を選んだのである。これはもう、ビジネスチャンス以外の何者でもない。それを違法性があーだこーだといってCCCDなどというタコ技術を導入し、下手にCDの売り上げを守ろうとするから話がおかしくなるのである。アメリカを見てみるがいい。今や楽曲のダウンロード販売で成功しているのはiTMSだけではない。まだまだCDの総売り上げには届かぬとはいえ、その成長率は目を見張るものがある。
47氏の逮捕に比べれば、RIAAの行っている個人を対象とした訴訟の方がまだ説得力がある。便利さを追及する人間の心理を否定する事は、人間文明を否定するに等しい。技術の発展を阻害するような取り締まりは即刻やめるべきだ。
ところで、今日は五月の誕生日ラッシュの二件目、すぐ下の弟の誕生日である。驚いた事に、彼は既に社会人二年目である。ぼくも年をとるわけだ。この弟は妙におっちょこちょいなところがあって、小さな頃から骨は折る、頭は割るで、大変な騒ぎであった。にも関わらず兄弟中で最も運動が得意なのだから不思議だ。あるいは怪我ばかりしてきたからこそ、体を鍛えなければという意識が芽生えたのかもしれない。体を鍛えるということに関してはぼくもちょっとは見習わなければならないと思う今日この頃。ともあれ、おめでとう。
天川という美しい名前を持つ村に、
ごろごろ水というあまり美しからぬ名前の水を汲みに行ってきた。名前こそ腹を下しそうであるが、このごろごろ水、日本名水百選の上位に名を連ねるほどの名水で、毎日2リットルずつ飲み続けるとアラ不思議、アトピーが奇麗に収まるという霊験あらかたな水である。
聞くところによるとこの水は酸化物の還元力に優れ、体内の活性酸素を除去する働きがあるのだという。アトピーの他、肝機能の回復から癌の治療まで万病に効能がある由。平日にも関わらずぼくたちの他にも大勢の客が汲みに来ていた。ポリタンクの他にペットボトルにも少し汲み、飲みながら帰ってきたのだが、飲み口は少し硬めで、コーヒーや紅茶の味が良くなるという謳い文句も信用して良さそうだ。
二時間弱のドライブで到着する
天川村は、緑豊かで、息抜きと休眼にはもってこいの場所である。ごろごろ茶屋という店の敷地内で水を自由に汲めるようになっていて、駐車料金を三百円取られるものの、基本的に何リットルでも無料で汲める。が、そこは節度を保ってほどほどにしておくのが礼儀というものだろう。自動車一台につきポリタンク五個までという制約も一応あるのだし、我が物顔に数百リットルも汲んで帰るのは、いかなる事情があったとしても流石に見苦しい。もっとも、かくいうぼくも今日はポリタンク六個に汲んだのであるが。制約を知らなかったとはいえ、恥ずべきことである。
茶屋というくらいで、もちろんここではコーヒーくらい飲むことができる。あまりメニューが豊富とは言えないが、一仕事のあとの休憩に、せせらぎを見下ろしながらアイスコーヒーを飲むのはなかなか悪くない気分だ。他にも、村内にはこの名水を使っている喫茶店がそこここに見受けられるので、覗いてみるのもいいかもしれない。安い駐車料金だけで名水を汲ませてもらえるのだから、せめて地元の観光産業にいくらかのカネを落としていくのも、これまた礼儀というものであろう。まあ、こちらは別に強要しないけれども。
金曜日から東京へ帰省中の白林檎である。去年の七月頃に帰ってきたときは生活サイクルが夜型のままで、結局どこへも行かず
ただひたすらダラダラ過ごしただけというテイタラクであったから、今回は是非ともアキバへ行こうとかあちこちラーメン屋巡りをしようとか、いろいろ目標がある。
そのうちのひとつに久保田の万寿を呑むというのがあったのだが、これは早速果たした。やはりこの酒は格が違う。香り、口当たり、喉越し、後味のどれをとっても文句のつけようがない。通にいわせれば昔よりずっと味が落ちているらしいが、ぼくにはこれで充分どころか、万寿を一本呑んだら以後一年間はアルコールの類を口にしなくてもよいくらいの満足感を得られる。それほど至上の酒なのである。念のために云っておくが、もちろんこれはものの喩えであって、本当に一年間アルコールを口にしないという意味ではない。
酔ったのでとっとと寝ることにする。
大阪に戻ってきた。結局、遠出はR.K.さん宅を訪問したのと、M.T.さんと懇談するために新宿に出ただけで、秋葉原にも行かなければ渋谷もうろつかなかった。しかしながら、ダラダラ過ごしていたわけではない。否、ダラダラとはしていたが、何もしなかったわけではなく、末弟の誕生日を祝ったり(昨日)、実家のPCを新調してそのセットアップをしたり(火曜日〜今日)、車高の妙に低い実家の車であちこち走り回ったり(ほぼ毎日)はしたのである。
以前も書いたような気がするが、この末弟というのが実は学校の後輩で、しかもクラブの後輩でもある。今回の帰京の目的のひとつはキャットショーに猫を出陳することだったのだが、彼は猫の到着を心待ちにしていた。実際、試験前であるにも関わらずよく遊んでくれた。父が彼を評して曰く「お前にそっくり」と。確かにぼく同様青と赤のだんだら模様に染まっているようではあるが、また猫好きなのも確かにぼくの影響であろうが、そんなにそっくりかなぁ。自分ではよくわからない。
それにしても猫を連れての遠征は大変体に堪えることがわかった。飛行機だから移動時間はそれほど長くないのだが、猫も人間も疲労困ぱいの態である。さっさと寝て、明日から業務再開としよう。