白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2004.8.6

 原爆の日である。たまたま朝から起きていたので、8:15に黙祷しようと思っていて、8:10まではじっとしていたのだがなかなか時計の針が進まず、暇を持て余してメールを書いたりなどしているうちに、油断して8:20になってしまった。仕方がないからそれから黙祷したが。

 夜、金曜ロードショーで『天使にラブソングを』をやっていたのをちらっと見た。エンターテイメントとして作られているだけあって、誰が見ても楽しめるように出来てはいるが、あの作品を見て心の底から笑い、ホロリとするには、やはりキリスト教の文化的背景が必要であろう。もっとも、それはこの作品にのみ言えることではない。何だかんだ言って西洋社会はまだキリスト教の呪縛下にある。

 どんな人間でも何かに対する信仰を持っているものだ。信仰とはいかないまでも、人間は常に精神的な拠り所を求め、また無意識に保有している。逆に言えばその拠り所に自身を縛りつけているのである。フロイトはそれをスーパーエゴと呼んだ。宗教ないし信仰は、スーパーエゴを形成するのに重要な役割を演じる。いわば全ての人間は自分の中に自分の神を持っているのである。

 科学万能を信じて爆弾を造った研究者も、強いアメリカを信じて命令を下した大統領や軍人も、神州不滅を信じて生きた日本人も、皆一様に正しかったはずである。実際、その結果はエゴのぶつかりあいである戦争の終結につながった。不幸だったのは、その爆弾がちょっと強力すぎて、また厄介な置き土産を残していったことだ。

 もちろん当時の人間は戦慄しただろう。言いようのない恐怖を覚えたことであろう。その恐ろしさは決して忘れていいものではない。だが一方で、力による恐怖を信じる人間も確実に存在する。従って、核兵器をただ恐れ、その恐怖のみを基本として廃絶運動を展開しても無駄である。左様な過激な人種をいたずらに喜ばせるだけだ。いずれ中東辺りに第二のヒロシマやナガサキが出来上がる。

 といって、もちろん無関心であるのも良くない。大切なのは大量殺人が恐るべき罪深い行為であることを、力による正義を信じている連中も含め、人類全体のスーパーエゴで共有することだ。そのためなら核兵器という邪神を崇め、あるいは糾弾するのも、重要な意味を持ってくるはずである。

 少なくとも我々一般人はもっと核兵器や原子力について知るべきであろう。この週末はウィキペディアあたりを深く読んでみてはいかがだろうか。

2004.8.9

 いろいろあって疲れたので(と書くと暗ぁい感じであるが、別にそんなことはない。文字通りの意味である)、GBASPを買った。GBASPなどと書くとまるでパソコンの部品かインターネット上のサービスのようであるが、ちっともそんなことはなく、ゲームボーイアドバンスである。一緒にFFTアドバンスを購入。

 もっとも、購入といっても20,000ポイント近くたまっていた相方名義のルピーポイントを使用したので、一銭も支払っていない。ソフマップ様々である。画面の真ん中にドット抜けがある以外は概して満足である。

 ゲームボーイを所持するのは初代モデル以来だが、随分と進化したものだ。音やグラフィックも進化したが、何といっても携帯ゲーム機として非常に洗練された感がある。バッテリーの持続時間、インターフェース、どれをとっても素晴らしい。ソフトもスーパーファミコン並のクオリティを保っていて、これも素晴らしい。また、驚いた事に初代ゲームボーイ時代から現在までのほとんどのゲームボーイタイトルに対応しているらしく、これまた素晴らしい。

 仕事の合間にちょっと息抜きにFFTアドバンスをやるのは、思っていた以上に手軽であるし、快適である。テレビゲームは遊ぶのに少し気合いを入れる必要があるが、ゲームボーイだとひょいと手を伸ばすだけで良く、この気軽さが子供たちにも受けているのだろうなどと思う。ゲームもスーパーファミコン時代くらいの、比較的軽めのタイトルが多く、これも気楽に楽しめる重要なファクターになっている。

 何しろプレステ陣営は「ターゲットはある程度以上の年齢層」と言い切るほどで、端から子供向けでないばかりか、大人でも腰を据えてやらなければならぬゲームが多すぎる。ゲーム業界が斜陽だというのもこれでは仕方がないと思えてくるし、また一方でゲームボーイが絶好調なのもうなずける。任天堂はファミコン時代からエンターテイメントの何たるかをきちんと心得ている。子供に受けないものは大人にだって受けないのだ。

2004.8.10

 相方が使っているナナオの21インチCRTモニタがお亡くなりになった。多分、猛暑が原因であろう。

 この機会に液晶化を推進する事にした。ぼくのモニタは既に液晶になっているので、対象は相方のG4と、Windows 2000やFreeBSDを動かしているPCの二台である。とりあえずPCの方は高性能モニタを繋いでも意味がないので、ロジテックの安いモニタにあたりをつけて、日本橋へ出かけた。

 G4用のモニタは、当初シネマディスプレイを買う予定であった。液晶モニタの中では発色が最も落ち着いており、デザインをするにはシネマが良いらしいと聞いたからである。相方のG4はQuicksilverなので、最近のモデルなら大概繋がる。ところが、ハードウェア的には問題ないものの、ソフトウェア的には大いに問題があった。Mac OS X以降でなければ対応してない、というのである。相方はまだMac OS 9ユーザーだ。

 Used Macコーナーを見ていると、古い機種、すなわち22インチのシネマディスプレイもあり、これはMac OS 9でも問題なく使えるようだったが、古いだけあってバックライトが暗くなってしまっている。かといって、Mac OS Xに移行するとなるとAdobeのCSも一緒に買わねばならず、大変な出費である。

 結局、ぼくのと同じモニタ、ナナオのFlexscan L557を買うことにした。ADC-DVIコンバータはアップルの純正モニタ以外では動作確認が取れていないとのことだったが、これは別に何の問題もなく繋がった。いずれ相方の環境をMac OS Xに本格移行することになった暁には、CPUカードとCS、それからシネマディスプレイも買い、デュアルディスプレイの素晴らしい作業環境を構築するつもりである。

 問題は、その時期である。ぼくはUnixを使うために早々に移行してしまったが、相方の作業では、Mac OS 9で何の問題もない。となると、G5を買う時だろうか。……ものすごい出費になりそうな予感。

2004.8.12

 薬局にて、頭痛薬を選んでいるはずの相方が、笑いをこらえながら手招きをした。何事ならんとそちらへ近付き、相方の指さす先の棚を見て、合点がいった。イブ、ナロンエース、バファリンといった頭痛薬メジャーどころの並びに、バッサリンなる新顔が並んでいる。しかも、ご丁寧にバファリンと同じ成分などというコピーまで──棚に、ではあるが──付けられてある。実にこう、何というか、素薔薇シズム(©ヨダレ団長)に満ちあふれている。

 この薬、成分のみならず、パチもんの法則を見事に網羅しているので、一見の価値がある。むしろ見つけたら即購入すべきである。もちろんぼくは買った。ちなみにパチもんの法則というのは「1、パッケージが似ている / 2、名前が似ている / 3、英名の綴りだけは微妙に違う / 4、本家よりも安っぽい」という四つから成る。白林檎学派では、パチもんの法則の題材として、他にPolyStationなども研究している。

 バッサリンの場合、パチもん第四法則だけは条件を満たしておらず、つまり成分はきちんとしている。もっとも、価格はバファリンの半額近くである。考えようによっては大変なお買い得商品である。加えて話題の種にもなるというおトクっぷりだ。男性諸君におかれては、彼女が「頭が痛い」と言い出したときに備え、是非ともこの薬を箱ごと鞄に常備しておくことをお勧めする。パッケージを見ただけで頭痛などふっとんでいくほどのインパクトを与えられること必至である。

 さあ、ヒーローになろうではないか。ただし自己責任で。

2004.8.18

 法事で相方の田舎である南紀に数日間滞在した。昨年亡くなった相方の祖父の初盆供養で、これはつつがなく終わった。

 もうひとつ、盆の大きな行事として、花火大会がある。熊野では毎年、盆の時期になると、日本有数の規模の大花火大会が開催される。埠頭や海に浮かべた貨物船から花火を打ち上げ、それを海岸にずらりと並んで眺めるという形式のため、かなり迫力ある花火を楽しむ事が出来る。のであるが、海で開催という性格上、波が高いと即座に延期となる。熊野、新宮辺りは日本でも降雨量が多く、また太平洋であるために海が荒れやすいらしい。あまつさえ、この時期は台風が多く発生する。殊にぼくは花火運がないらしく、数年間通った挙句ことごとく台風で延期という有様で、観賞するのはようやく今年が初めての事である。

 花火は実に盛大で、感無量であった。演出も凝っており視覚的にももちろん楽しめるが、それ以上に音が良い。爆発音が磯の岩場に反響して、得も言われぬ音響を楽しめる。聞けば熊野大花火は昔から音花火と言われていたそうだ。このようにぼくが念願の大花火を楽しんでいると、一天にわかにかき曇り、冗談のような大雨が降ってきた。携帯電話や財布は相方の鞄に入れ、さらにビニール袋に包んだので無事であったが、人間は誰も彼もずぶぬれになってしまった。相変わらずぼくの花火運は低調のようだ。もっとも、おかげで辺りに漂っていた煙はすっかり晴れ、よりクリアな花火を観賞できた。

 ところで、バッサリンは案外メジャーな薬らしい。何しろ高校の教科書にも載っているくらいだそうで、せっかく『トリビアの泉』に投稿しようと思っていたのに、惜しいことをした。もっと見識を広めなければならないな。