昼過ぎ、Power Mac G5が届いた。半日かかってセットアップ中である。とりあえずの感想。速い。まだCD-ROMを入れたり出したりデータを移したりくらいしかしていないので、それくらいしか書きようがない。
先程、CubaseとReasonで重いトラックを走らせて、FireWire 410で混ぜて出してみたところ、G4だとカタカタいっていたのが何かのジョークだったかのようにスムーズに聞こえた。やっぱりG5は速いな。他に言うことはないのか。
いろいろと予定が圧している。ぼくの手も併せて早くなってくれると良いのだが。
祝・優勝。
緊迫した素晴らしい試合だった。もっとも、こう言えるのは無事に勝利して試合を終えたからなので、観戦している最中はもうハラハラし通しであった。やはりキューバはよく打つ。飯抜きで見ていたこともあって、終盤には胃がキリキリと痛み出した。
とりあえずピザとペプシか何かで祝杯兼遅めの昼食といこう。見ていただけなのに、何だか疲れてしまった。
それにしても日テレの放送手法には恐れ入った。王監督がトロフィを受け取る瞬間に映像を切り、ワイドショーだか何だかで放送しますと予告しておいてから、やきもきしてテレビの前で貧乏揺すりをしているファンに向けて、洪水の如くCMを垂れ流す。放送権をここまで巧く活用するテレビ局も他にあるまい。
Windows MEのセットアップをしている。そろそろ日付が変わってから二時間が経つ。
仕事柄、Webページの確認環境をいくつか用意していて、このMEもそのひとつである。つまり、IE 5.5で表示確認をするために存在するのであるが、何かというとすぐにシステムが飛ぶので、ときどき再セットアップしてやらないといけないのである。VPCにでも放り込めば話が早いのにと人は言うであろうが、実はVPCにも入っている。MEだけでなく、2000と98SEも入っている。にもかかわらず実機も用意するのは、趣味とか嗜好とか、まあそういった問題だ。ちなみに2000と98SEも実機に入れてあるものがある。書いていて、流石に自分が暇人のように思えてきた。
こうして深夜にWindowsをセットアップして、アップデートなどしていると、まだ回線が貧弱だった頃のことを思い出す。あの頃、ぼくはまだWindowsの、それも無印98を使っていて、モデムは33.2Kbpsだった。メガではなくて、キロである。IEの最新版を落とそうと思ったら一晩と少しかかったものだ。
回線が遅いのみならず、パソコン自体も遅かった。CPUは一応MMXが載ってはいたものの166MHzだったし、RAMなんぞは96MBしか載っていなかった。Windowsをインストールするだけで、二時間くらいは平気でかかったものだ。万事のんびりとした時代だったのである。
左様な環境だったものだからぼくはちっとも知らなかったのだが、Windows ME等のいわゆる9x系Windowsは、RAMが512MBよりも多いと、正常に動かないことが多い。起動時に確保しようとするファイルキャッシュの上限が、システムの
想定の範囲外の値になるからとかいうことだが、あまり詳しくは知らない。とにかくRAMがあまり潤沢だと却って調子が悪くなるので、Windows 9xをインストールしたら、まずはmsconfigを起動して、システムの使用メモリに制限をかけるところから手を付けた方が良い。512MBまでならテキトーな値を設定しても大丈夫だが、どうせそう変わらないから、ぼくはいつも256MBにしている。
これまた随分ととぼけた仕様であるが、まあこればかりはマイクロソフトを責めるのは少々酷というものだろう。2000年当時、一般家庭のパソコンのメモリが二年以内にGBオーダーに届くなどということを、一体何人が予想しえただろうか。
日記を書いている間にセットアップが完了した。昔、同じだけの作業に二晩かかっていたのが、ものの二時間で終わった。とはいえ、ちょっと夜更かしになってしまったので、とっとと寝ることにする。
最近、マウスをアップルの丸マウス(初代水饅頭の前のあれ)から変えた。G5に付いてきたMighty Mouse を試しに使ってみたところ、これが意外にも使いやすいので、すっかり気に入ったのである。
ただ、脇に付いている変なボタンとか、右クリックを判定してくれるビミョーなセンサとか、スクロールボタンに機能を割り当てられる機能とか、要するにアップルの言う「革新的な」機能はほとんど切ってしまって、純正オプティカルマウスにスクロールボタンが付いただけという、ジョブスが聞いたら卒倒しそうな使い方をしている。
他の人はどうだか知らないが、事務的な用途のアプリケーションを使う場面以外では、ぼくにとってボタンの多いマウスは無用の長物どころか不便以外の何者でもない。ついでに言えば、事務的な用途のアプリに於いてもコンテクストメニューを使うような操作は大抵ショートカットキーで間に合うので、やっぱり大して重要性を見出せない。そんな訳で、右クリックのセンサはオフにしている次第。
脇の変なボタンを無効にしている理由はもう少し単純で、使おうとすると指がつるからである。それに、持ち上げたときに不意にDashboardなんぞが出てくると心臓にも悪いし、イライラしているときには精神衛生上もよろしくない(別にDashboardじゃなくてもいいんだけど)。
本当に気に入ってるのかお前はと言われそうだが、本当に気に入っているのだ。本当ですよ。特にスクロールボタンの不思議な感触は大のお気に入りである。それから、光センサの性能がかつてに比べて格段に良くなっているような気がするのも良い。
せっかくだから何か面白いことでもしようかと思ったのだが、特に思いつかなかったので、エイプリルフールについて書くことにする。
昔、今のスペインにアブラスという男がいた。キリスト教全盛の、中世のことである。彼は聖人に列せられているが(エイプリルフールはつまり彼の日である)、もともとの生業はというと詐欺師で、方々で人々に害を為していた。
あるとき、ついに神の敵として捕縛され、ローマに護送されることもなく、現地の司教だか神父だかの判断で裁かれることになった。判決は、死刑。それも火炙りにかけられることになり、ついに処刑の日となった。足下に積まれた枯れ草に火が着けられ、縛りつけられたアブラスも一巻の終わりと思われたが、そのとき一天にわかにかき曇り、篠つくような豪雨となって、まさに燃え上がらんとしていた炎をたちまちのうちに消してしまったかと思う間もあらばこそ、すっと雨もあがり、雲間から太陽が何事もなかったかのように顔を出した。
これは神のご意志であろうということになり、アブラスは釈放される。しかし民衆のこともあるので、ご当地の神父だか司教だかは「召使い」と称してアブラスの元へ修道士をひとり送り込み、彼を監視させることにした。アブラスはというと、彼は彼で神に感謝の念を抱き、これからはまっとうに生きようと決心して、以後は嘘は言わぬ、もし言ったら即刻引き立てて、今度こそ縛り首にしてもらってかまわぬと公言していた。
それからのアブラスは本当にひとことの嘘も言わずに過ごしていたが、そんなある日、街でひとりの老婆と出会った。彼女は一通の手紙を手にして、読もうとしているようだったが、一方で途方に暮れているようにも見えた。不審に思ったアブラスがどうしたのかと尋ねると、果たして老婆は文盲なのであった。その手紙は息子の旅先から受け取ったのだが、一体何と書いてあるのか──彼女に請われるままアブラスはその手紙を読み、そして聞かせようと思ったが、そこに書かれてある内容は、そのまま伝えるには過酷な内容であった。
「何と書いてあるのかしら」
老婆が云う。生涯嘘は付かぬと決めたアブラスだったが、ここで葛藤が生じた。結局、彼は、手紙の内容とは正反対のことを老婆に告げ、そこを後にした。それから彼は教会へ赴いて、自ら処刑台に登ったとのことである。彼の罪はその思いやりによって神に許されるであろう、と司教だか神父だかが言うと、一筋の光がアブラスの体を包み込み、その魂は天に召されたということだ。教会は彼を聖人に列し、その日──つまり4月1日を彼の日とすることを決め、後世、その日だけは嘘をついても、人の心を傷付けぬようなものなら、神は許されるといわれるようになった。
とまあ、ざっとこのようなホラを吹く習慣は、比較的古くから存在するようである。来年からは祝日になるそうだ(これは本当)。ご興味のある方は
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