東京では大雪のようで、先頃まで住んでいた身としてはあの悪夢のような苦労を思ってあまりあるのであるが。まったくもって東京という街は異常なまでに悪天候に弱い。毎年大雪が降ることがわかっていながらどうしてああいう都市構造にしたのか、設計担当者出てきて雪掻きしやがれシャベルは貸してやるからと意味不明なことを叫びたくなるくらい、悪天候に弱い。だからぼくは東京が嫌いだ。
ところでインターネットという単語に引き続き「〜する」というよくわからない活用を強いられているブロードバンドという単語がある。ぼくも電話をかけたり電話を使って通話することを指して「電話する」などと言うので五十歩百歩なんだけど、気になるんだから仕方がない。特にニフティの CM のコピーが耳につく。家族の絆が広帯域幅だったらどうなるんでせうね。
言葉は多くの人にとって最も基本的な道具の一つだから、あちこちで口にしたり耳にしたりするうちに陳腐化するというのは多くの表現にとっていわば宿命的なことである。情報が一気に広まる現代では、この傾向は益々加速の度合いを強めていく。広告業界が斬新な表現を求めて突っ走るのはこういった止むに止まれぬ事情があるからなのだろう。
陳腐化は一方で一般化という側面をも併せ持っている。逆説的に言えば耳新しくなくなったときその表現は「ことば」として受け入れられたことを意味する。陳腐化ないし一般化の過程で本来的な意味から外れてきたとしても、多くの人にとって表現と表現される対象が等号で結ばれている以上、もはやその表現がそうした意味で定着していることを原理主義者は認めざるを得ない。
いや、ぼく自身を納得させるためだけの理屈かもしれないのだけど。理屈っぽい人間を言いくるめるには理屈に限るんである。「インターネット」然り、「ホームページ」然り。「ブロードバンド」も現在そうした時期にさしかかっているということなのだろう。今日の理屈終わり。
そういえば今日は埼玉でジョン・レノン関連のイベントが開催されたとのこと。それで東京にいなかったんだね、教授。忘れていたが昨日はジョンの命日であった。彼が非戦を訴え続けた国には、今、戦争がしたくてウズウズしている大統領がいる。さっさと辞めろ、バカ息子。
白林檎用語。二日目酔い【ふつか-め-よい】(名)飲酒した翌日、宿酔いほどではないがアルコールが残っている状態。頭を振るとすぐに目が回り、若干の吐き気を伴う。まれに頭痛が伴うこともある。
やれやれ。昨日父と酒を飲んだのであるが、見事にのせられたようである。営業畑の人間と酒を飲むときは注意しなければならないということがあらためてよくわかった。もういい加減いい年だしなぁ。気を付けよう。酔っぱらっている時間が勿体ない。楽しかったんだけどね。飲んでいるときは楽しく酔っぱらい、翌日はさっと酔いの醒める酒というものはないもんだろうか。
夕食後、ちょっとした用事でニノミヤへ。夕食後というのがすごいが、あまり気にしてはならない。つれづれなるままに書籍コーナーをぶらぶらしていたら、まあコンピューター関連資格の多いこと多いこと。以前から他の分野より多かったとは思うが、マイクロソフト関連の資格が増えているのはともかく、一体インターネット検定ってのは何ですか。ウェブクリエイター試験とかいうものもあったが、MARQUEE タグを出題するあたり、レベルの低さが窺えて溜息が出る思いである。W3C の Recommendation 読んで出直してこい。
ぼくは基本的に資格というものが大嫌いな人間なのであるが(故に英検なども受験したことすらない)、それは実際に使用する知識と試験対策用の知識が激しく乖離しているためである。ときには試験問題とその解答の方が間違っていたりなどして、心底無意味に思えるからだ。まあこれは民間の資格団体に限った話だけど。
とか何とか言っているが、国家資格は仕事柄持っていても損はないかなぁ、と最近思うようになった。とりあえず初級シスアドでも受けてみようかな。どうしようかな。時間取れたら受けてみよう。
来た。見た。騒いだ。以上。
NHK のミッドナイトチャンネルで全国高専ロボコンの再放送を鑑賞。って、日付けが変わってからなのだが、まあいいや。余談だが、ぼくが寝るまで「一日」は終わらないものと決まっている。誰が決めたかというと自分で決めたのであるが。とにかくぼくがふとんに入って寝付くまで、いくら現在時刻が午前四時だろうと今はまだ 12/4 なのである。
閑話休題。ぼくはロボコンが好きだ。何か知らんが燃えるものがある。学生が頑張っているからなどという月並みな理由ではないと思う。社会人ロボコンというものがあったら、そちらもやはり熱中してテレビにかじり付くだろうと思うからだ。じゃあどういう理由なのか、それは多分、工夫を懲らしたロボットを駆使して難関に挑戦するという姿勢と、ロボットに込められた工夫そのものがぼくを興奮させるのだろう。
今年のテーマはプロジェクト BOX と題し、いかに素早くかつ正確に箱を移動できるかを競う。様々なロボットが登場する中で、今年のお気に入りは「歩くんです。」いや、こういう名前のロボットなのである。これがなかなか可愛らしく、はっきり言って惚れた。全国大会にも出場するから、12/20 の放映時には絶対に見なければならない。
ロボット最高。未来のモノヅクリを担う若い力に乾杯。その勢いで、白林檎専用お掃除ロボを是非。
さあ、12 月である。張り切ったところでいいものが出るわけでもないのに、どうして人間は年の瀬になると必要以上に力んでしまうのか。今年の仕事は年内に終わらせてしまおうということなのかもしれないが、これは夏休みの最終日にあわてて宿題の作文を始める小学生に似ている。つまり日本人(もしくは人類一般)という動物が、根本的に問題を先送りにする性質を持ち合わせているからということか。
そろそろ本格的に冬になってきて、例年通りテンションが落ち始めている。ぼくのテンションが底を打つのは二月下旬から三月上旬、春の足音が遠慮がちに近付き始める頃なのだが、これはそういうサイクルなのかそれとも単に冬眠しているだけなのか、その辺が自分ではよくわからない。ともあれそういう事情もあり、ぼくはぼくなりに忙しく過ごしていたりする。
ちょっと考えるところがあって、要するに「人はなぜパソコンを使うか」ということなのだが、当然ながらこの答えは人によって異なるだろう。ぼくの場合はというと、PC-9801 から入ったこともあってまずゲーム(三国志やらシムシティやら)だった。以後、文章書き、音楽、プログラミングと、ちょうど趣味がパソコンとほどよく合致することもあって、機種こそ変わったものの今に至るまで連綿と使い続けている次第。ところが最近そうでない人が増えていて、つまりパソコンを使うのに目的を見出せないというのであるが、こういう人たちが世に言う初心者なのであろうなあ、と、これはまあ昨日の話ではあるけれど、風呂の中でハタと膝を打ったのであった。インターネットを利用したいというだけの理由であれ、何らかの目的を持ってパソコンを買い、そして曲がりなりにも使っている層は、初級者ではあるかもしれないが初心者では決してない。
ぼくにしてみれば目的もないのにパソコンを買う人の気持ちがわからないのであるが(ちなみにぼくが PC-9801 を
買った 買ってもらったのは
単に触ってみたかったから なのだが)、家にあるんだからせっかくなら活用したい、という気持ちはよくわかる。だからパソコンを教えるというのは、技術や知識を伝えるだけではなくて、使う目的を探してあげるのが本意なんじゃないかと、これまた昨日の話なのだが、風呂の中でハタと膝を打ったのである。考えてみれば教育ってのはどんな分野であれ少なからずそういう性質を持っているべきなんだよね。
とはいってもあまりその方面にのみ注力してしまうといかにも効率が悪い。この辺は結局バランス感覚ということになるのだろうけど、ア○バのような「パソコンといえば資格を」という方向性は、少なくとも初心者は求めていないと思うし、もはや教育ではないと思うのですよ。
やれやれ、日記がこんなに長くなり始めたらいよいよ要注意なのである。