曇り止めレンズ付き眼鏡への提言。ラーメン食ってるときに曇るな。
急な仕事が入ってずっとほったらかしだった DB システムの開発を、昨日から急ピッチで進めている。これだって仕事なのだが、自分のための仕事だからまあ私事みたいなものである。そのためどうしても後回し後回しになってしまうのだけど、いざ始めると通常の三倍は楽しい。何しろ自分のためのアプリケーションだから要求スペックも何もない。MySQL サイコーです。
大分できてきたので(いつもこれくらい仕事が速いと苦労しないのだが)、ユーザー会のサイトを参考に Windows 2000 上の OpenOffice.org の Calc から MySQL サーバに ODBC で接続し、データを拾うというのを試してみた。まずは MySQL 用の ODBC ドライバである MyODBC をインストールし、ODBC から必要な設定を済ませる。あとは Calc からクエリを引くだけだ。思いの外簡単に成功し、結果に思わず感動。うまく連携すればひょっとすると業務効率が格段にアップするのではなかろうかなどと妄想逞しくしてしまった。やっぱり MySQL サイコーです。
OpenOffice.org といえば Mac OS X 用の Quartz 版がいよいよファーストビルドに成功したそうだ。ビルドに挑戦してみたいが何しろ HDD の空き容量がないから試しようがない。早くバイナリで配布されないかな。
ところで暦に日という単位しかなかったら今日はどのように表現されるか考えたことがありますか。ぼくは中学生の時に電卓片手に数えてみようと思ったことがあるのだが、途中で気が狂いそうになったのでやめた。今なら適当にスクリプトを組めば一発だと思うが、メンドウなのでまだやったことがない。しかし UNIX OS はこれに近いことをやっている。1970 年 1 月 1 日 00:00:00 からの秒数を延々とカウントし続けていて、これをタイムスタンプにしているのである。CGI 含め UNIX 系のプログラミングではこれをいろいろと便利に使うのだが、ここから普通の時間単位に換算するのは API 任せだったりする。どういう計算をしているのか、一度考えてみるのもいいかもしれないと思った。
関係ないが梅津さんの新刊『あなたはコンピュータを理解していますか?』を読みたい。
数日前のことだけど復刻版ビックリマンチョコを買ったら、シャーマンカーンが当たった。ビックリマンシールを知らない人はいないと思うが、知らない人のためにひとこと言っておくと、要するにおまけのシールなのである。これが現在のポケモンと同じくらい一世を風靡した時代があったのだ。
話は変わるが今朝寝坊をし、大変な慌ただしさだった。ぼくが慌てるくらいだから、先方はもっと慌てていたことであろう。やれやれ。その後気分転換に王寺をフラフラしてきた。なぜ王寺なのかというと、行ったことがないからである。ぼくは見知らぬ土地をあてどなく歩くのが好きだ。ひょっとすると根は旅行好きなのかもしれない。それ以上に出不精なので滅多に旅行しないけど。
車窓から見える王寺の街並みはかなり賑わって見えたのでてっきり市だと思っていたら、看板に「王寺町」とあってまず驚いた。歩き回ると典型的なニュータウンの駅前という感じの側と、旧来からの住宅街や商店街でごった返している側とに線路を挟んで分かれていて、なかなか面白かった。巡る内に古本屋があったので筒井康隆の初期ショートショート集と、兼ねてから読みたいと思っていた阿川弘之の随筆集を購入。締めて 300 円。古本屋最高。また訪ねることにしよう。
家庭用プリンタの意外な弱点を発見。あまり多くの枚数を一度にプリントアウトできないのである。意外でもなかったかもしれない。
いや、とにかくですな。30 枚やそこらしか一度に印刷できないものだから 1000 枚もプリントアウトするときには付きっきりで作業しなければならずそうなると一体何のための自動給紙トレイかと叩き割りたい衝動がフツフツと胸の奥に煮えたぎる今日この頃であるので家庭用プリンタで 1000 枚もプリントアウトしようというのがそもそも無茶である間違いなのであるという向きは無視。1000 枚とまでいかなくても 200 枚程度ならどこの家庭でも年賀状として用意されうる枚数である。それすらも一時間や二時間、長いときには半日もパソコンの前でじっとプリンタの面倒を見なければならず、トイレに中座して戻ってきたら「用紙がセットされていません」などとエラーメッセージが表示されていると来た日にゃ一体何のための自動給紙トレイかと叩(以下略)。
まあそういうわけで、そろそろ画質競争は肉眼ではわからない領域に突入していることであるし、プリンタメーカー各社様におかれてはこの辺を考慮した新製品を開発していただきたいもんである。
年賀状で思いついたからついでに書いておくけれども、年賀状の作成・送付というのも年末の慌ただしさに確実に一役買っていると思うがどうか。大体、新年の挨拶なんだから年が明けてから書けばよさそうなものである。それでもちゃんと松の内には届くだろう。「新年の挨拶だから一月一日に必着」という方に最初に着目したのは誰だか知らないが、バツとして反省レポートを課す。三文字以内で有意な反省文を用意すること(模範解答:御免。)
眠いので寝ます。
やれやれ。ようやく懸案のスクリプトを書き終えた。あとは実装だけである。そう、ここまでやってもまだ実装が残っているのだ。でも肩の荷は少しだけ軽くなったような気はする。ライブレポートをサクっと作ることにする。
目が覚めたら夕方の五時。既に外は日が落ちかけて暗くなっている。時刻が時刻だし、いくら何でも自分が十数時間寝たとは思い付かないので、夜明け前に目が覚めたのかと思った。昨日は夜明けとともに起き出して朝食をとり、掃除やら何やらをした後に昼食をとって仕事に行き(風邪薬のおかげで眠く仕事にならなかったが)、帰ったら夕食をとってその後 STAR WARS Episode II の DVD を鑑賞、相方がさっさと寝てしまった後ひとりでメイキングディスクをちょっと眺めて、風呂に入って寝たのが二時。決して夜更かしではないんである。ぼくの基準ではむしろものすごく健康的な生活だったのだ。が、今日夕方まで寝たので台無しになってしまった。
極端に長時間の睡眠を取るようになると、いよいよ冬が来たという気になる。冬の間、ぼくは実生活よりも夢の中で過ごしている時間の方が長い。きっとそうしている方が楽だというのを、頭のどこかで感じているのに違いない。ぼくの躁鬱は病ではなく、症ですらなく、おそらく気質と呼ぶべき程度のものだけど、鬱がかってくるとほとんど神経症に近いくらい精神状態が不安定になるからだ。ちょっとしたことですぐ不安になったり、悲しくなったりする。何でもないことが気に掛かって仕方がない。これが鬱なのかどうかと問われると自信がないけれど、ともかくそんなで昨日も寝る前に何度も窓を開けては戸外を確認していた。どういうわけか、家に火がついていないか気になって仕方がなかったからだ。
いただきものの蕎麦をざるにて食す。美味。ざる以外で食べるのはこの蕎麦に対して失礼というものであろうというくらい旨い。蕎麦湯も良い味が出ていた。そういえば蕎麦を食いながら花火師のドキュメンタリーを見たのだが、花火ほど日本的なエンターテイメントもないのではないか。華やかで、はかなくて。祭りの賑やかさと日本的わびさびが見事に融合しているように思う。花火、見に行きたいなぁ。もう冬だけど。