ja.oo.o に初コミット。案外簡単だ。というか、Mac OS X からだと UNIX から CVS にアクセスする方法というドキュメントをほぼそのまま適用できるので、非常に楽である。おそらく Windows の三倍ほどは楽だろう。
おかえしに MacSSH での接続方法なんぞを探してみる。ググるとあっという間に色々出てきたのでちょっと張り合いがなかったけれども、出てきたページを見ていったらどうも面倒な問題があるような雰囲気である。ja.oo.o の CVS にアクセスするためには SSH2 の公開鍵を oo.o に登録する必要がある。これは UNIX ではごく標準的な慣習だから、Linux や FreeBSD はもちろん、Mac OS X でもものの数分で作成できる。MacSSH でも一応作ることができるのだが、多くのサーバで使われている OpenSSH という sshd の鍵として使うには変換が必要らしいのである。UNIX マシン上で。いやあの、普通の Mac 使いは UNIX OS なんて持ってないと思うんですが。Mac OS X 持ってるならそっちで SSH した方が早いし。
ていうか CVS の仕組みからいって、CLI のない Macintosh というコンピュータではコマンドラインの CVS は利用できないんじゃなかろうか、とふと思ってみたり。
なんとかならんものかと考えているうちに、どうも GUI の CVS ツールがあるらしいという情報がユーザー会の C 氏によってもたらされた。もともと Windows のツールなのだそうだが、Mac や X11 環境にも移植されているらしい。今度試してみよう。
でもこういう UNIX 由来のツールって、大抵コマンドラインの方が効率いいんだよなぁ。
ところで昨日の Expo は素晴らしかったですな。今週のメルマガのネタはほぼ決定したようなもんである。が、変わるかもしれない。
どうでもいいが So-net の CM ソングが頭から離れなくて実にイヤな感じである。
いい加減生活のリズムを戻すために、今日は一日中起きていようということになった。夜早く寝ればいいだけのことなのだが、このまま行くとどうしても夜更かし(というか徹夜)ペースを抜けることができない。そういうときの常套手段である。いわば強制再起動である。
念願のコタツをついに出した。ところが年期の入ったこのコタツ(推定年齢三十歳)は火花が散ったりして危険な雰囲気を醸し出していたため、急遽仕様変更ということになった。つまりコタツの暖かくなる部分を取り去り、下に電気カーペットを敷くのである。コタツに火が入っていなくて暖かいのかという話であるが、下が暖かく、足に冷たい風が当たらないというだけで十分暖かい。サイコーです。
コタツに反対していた相方も、何だかんだ言って気に入っているようだ。そういえばうちの母もそうだったが、どうして女性というのはコタツで気軽にうたた寝をするのだろうか。謎である。
うちで飼っていたネズミが他界した。一年二ヶ月生きたから、ネズミとしてはまあ寿命だろう。冷たくなった小さな体をティッシュに包み、相方と二人で近くの川へ持っていって流してきた。ふわふわと、どこまでも流れていった。
理由あって今年初めて Mac OS X を起動。こいつは新年であるにもかかわらず挨拶をしない。ご存知ない方のために説明しておくと、従来の Mac OS は新年や誕生日には挨拶をしてくれるのである。と書いていて思い出したが、Mac OS 9.1 以降はそういえば挨拶しないんだった(アップグレードの場合を除く)。こういう何でもないところでの Mac らしさが失われていくのは悲しい限りである。
ところで OpenOffice.org であるが、最近ユーザー会が本家(www.openoffice.org)とついに合流を果たし、ja.openoffice.org というドメインネームでアクセスが可能となった。しかしここはあまり好き勝手ができないらしく、oooug.jp というミラー兼ユーザー会の憩いの場のような場所もできた。SKETCH SHOW といい OOo といい、今年は色々なことが本格化しそうな雰囲気である。
それはいいのだが、何だか自分でもよくわからないうちに ja.openoffice.org の committer をすることになった。committer というのは何かというと、ja.openoffice.org のサイトをメンテナンスしたり構築したりする、言うなれば幹部兼裏方のような、要するにユーザー会の活動の比較的中心に近い役割である。どうしてそういうことになったかというと、年末にテンプレートを作ったのがきっかけのようだとしか言いようがない。N 氏という人がいて、ja.openoffice.org の Project Owner なのだが、この人ともうひとり別の N 氏とぼくとで少し議論しているうちに HTML や CSS のことならぼくが面倒をみてもいいですよという話になり、なら commit 権があると色々便利ですよという話になり、あれよあれよという内にあとは JCA というサンマイクロシステムズとの権利関係の簡単な契約書にサインすれば committer になるというところまで来てしまった。
ぼくはオープンソースの活動にかなり興味を持っていたので当然これは喜ぶべきことなのだが、いざ来るところまで来るとさすがにびびった。なったらなったで頑張るけど。そういう意味ではどんと背中を押してくださった N 氏(Project Owner の方)に感謝するべきかもしれない。色々作業をしつつ、話に出ていた webdesign プロジェクトをそのうち立ち上げるつもりだ。
そういうわけで JCA をさっさと送ってしまおうと思うのだが、エアメールのかわりにメールに添付して送る場合の方法がよくわからない。いきなり画像を送りつけても大丈夫なのか? サンといえばネットワークコンピューティングの本家だから、こういうレトロな方法でいいものかどうか不安でならない。
というわけで年が明けた。謹賀新年。
何だかんだで年末まで夜更かしをしていた影響で、新年早々から昼間寝て夜中に活動する生活をしている。正月だから別に仕事をしているわけではないのだが(相方は少しだけしてたけど)、どうにも幸先が悪いというか、先が思いやられるというか、今年も一年間こういう生活になるのかと思うと暗澹たる気分になる。まあいいんだけどね。何とかなるだろうし。
夜中に起きて何をしているかというと、ゲームをしているのである。先日ここにも書いたドラゴンクオーターというゲーム、手助けしないと決めたはずなのに結局ぼくもはまってしまった。色々言っておいて何だがこのゲームは面白い。はっきり言ってしまえば FFX など足下にも及ばないほどの面白さである。が、聞くところによればせいぜい 10 万本ほどのセールスしか記録していないらしい。不思議なこともあるもんだ。
一年の計が元旦にあるのなら大晦日にやってくるのは総決算であるのだが、それを意識して過ごしているとふとしたことがこの一年を象徴しているようで面白い。トイレに行こうとして戸を開けたら、うちで飼っている白猫(ノア・1 才)がぴゃっと飛び出した。ああそうだ、こいつは今年本当によく外を放浪して困らせてくれた。夕方のんびりしていたら銀行の ATM が 19:00 で閉まるというのを思い出し、慌てて生活費を出しに行った。これまた今年の慌ただしさというか詰めの甘さというか、とにかくそういったものの締めくくりであるような気がしてならない。
銀行といえば二年くらい前のゴールデンウィークにエラい目にあったことがある。当時からぼくは財布にあまり現金を入れない主義で、必要な分だけ ATM でその都度下ろすという習慣だった。一方、相方もそういう主義だったので、つまるところ二十歳を過ぎだ男女が財布の中身合わせて常に二千円という状態でフラフラしていたのである。
ゴールデンウィークと正月には ATM が閉まるというのは常識なのだそうだが、妙なことは知っているくせに普通のことはあまり知らないぼくに当然そんな認識はなく、また変なところで詳しいわりに誰でも知っていそうなことにときどき通じていない相方にもそんな認識はなかった。まあそういうわけで、そのゴールデンウィークはなかなか思い出深いものとなった。
来年はどういう年になるんでせうね。よいお年を。