LET IT BE... NAKED を聴いている。音質もよくなっているし、話題の「バンド感増量」もその通りだとは思うが、基本的には LET IT BE とそれほど変わらないというか、ビートルマニアの間でも評価の分かれるところだろうなあと思う。ぼくはそれぞれ別バージョンとして受け入れることにした。この辺は、こだわりあるリアルタイム派には理解できない点もしれない。
それはそうと、これの国内版は CCCD で発売されているそうだ。ぼくはそんなことを露ほども知らずに輸入盤を買ったのだが、あれだ、THE BEATLES を CCCD なんぞで汚染した東芝 EMI は滅びるがいい。
ところで安倍晴明という人はどうやら阿倍野の出身であるらしい。正確には、出身地について諸説あるものの、現在の阿倍野区阿倍野で生まれたというのが最も有力な説なのだそうだ。阿倍野出身だから安倍晴明なのか、安倍晴明を排出した地に阿倍野という地名をつけたのか、どちらなのか非常に気になるところである。
帝国データーリサーチとかいうところからメールが来て、貴殿はブラックリストに載ったから云々とある。この手のメールが届くのも久しぶりである。暇なら何らかの方法で盛大に祭り上げたいところであるが、生憎こちらは莫迦の相手をする時間など一秒たりとも持ち合わせていない。ま、メモ程度にここへ記した上で、「オンアボキャ」とか唱えておけば充分であろう。なお、ご存知だとは思うが、同様のメールを受け取っている方はくれぐれも支払いなどせぬよう注意すること。帝国データバンクとは確実に何の関係もない。
さて、今日は『陰陽師』を見た。野村萬斎の演技にも感心させられたが、それ以上に真田広之のキレっぷりが最高である。キレっぷりという言い方は不適切じゃないかと言われる向きもあるかもしれないが、あれはキレっぷりという言葉でしか表現のしようがなさそうだ。もちろん誉め言葉として使っているのである。野村萬斎を向こうに回して一歩も引けをとらなかったその演技に、俳優・真田広之の役者魂を見せつけられたと心底感動しているのである。もっとも、彼の役の動機はイマイチ不明なのだが。他人の心を指して「嫉妬に満ち溢れている」とか何とか言っておいて、まさか阿倍晴明へのそねみが主因ということなどではなかろうな。
まあ動機は置いておくにしても、なかなかエンターテイメントな映画であった。が、残念ながら白林檎的に難点もあった。夢枕貘の原作を読まずにコメントするのもどうかと思うが、もうちょっとストーリーをひねっても良かったんじゃなかろうか。中盤までにはおおよその結末を予想できてしまった。あと、特殊効果がくどすぎて、時々フィルムのテンポを破壊している。もう少しシンプルな方向に練り込んだら、より映画を盛り上げられたと思うだけに残念だ。こんなことを思っているのはぼくだけかもしれないけど。
『陰陽師』は DVD で発売される、というかもう発売中なのかもしれないが、とにかく DVD では二枚組になるそうである。本編ディスクと特典ディスクという定番の構成だが、とりあえずこの DVD セットに「特典映像“萬斎”」なるコピーを付けた御方には、是非とも強い
呪 をプレゼントしたい気分である。瓜か何かに入れて。
すっかり忘れていたが LET IT BE... NAKED が発売になっていた。これは以前にこの日記でも紹介した、LET IT BE をよりオリジナルに近い形で再発売するというシロモノである。昨日テレビを眺めていたら CM を打っており、それで思い出したのである。
この CM に何故か DON'T LET ME DOWN が使われており、ご存知かどうか知らないが、昔からある LET IT BE にはこの曲は収録されていない。今回のリニューアルは、アルバム構成はそのままで、音源をいじる程度の物と思っていたから、DON'T LET ME DOWN が流れるあたりで力一杯違和感を感じた。一瞬 JARO に「収録曲じゃないじゃろ」とタレコんでやろうかとも考えたが、流石にダジャレは寒いと思い直し、その日はそのまま寝た。
今日になってツタヤをのぞく機会があり、洋楽の棚を眺めていたら、ちゃんとこのアルバムも並んでいる。少しドキドキしながらひっくり返して裏を見てみると、驚いたことに DON'T LET ME DOWN が収録されている。替わりに MAGGIE MAE と DIG IT がリストからなくなり、さらには曲順もかなり変わっている。ははあこれはこれはと眺めている内に、気が付いたらレジに立っていたので、これからゆっくり聞こうと思う。
某所の電子郵便送付用入力欄を実装中、別に何てことのない作業だったはずなのだが、文字符号化規則の変換部分がどうにも不可解な例外を吐く。結局別の手段をとって解決したが、あれは一体何だったんだろうか。というか、専門用語に限定したところでいちいち日本語にして回るのは非常に面倒なものだな。
あまり面白くないし 、さて、どうしたもんであろう。まあいいか、もう少し続けてみよう。
日本語にして回るといえば、翻訳家とか通訳とか、そういった職業の方には本当に頭がさがる。ぼくもなんとなく会話が出来る程度の英語力はあると思っていたが、これは大いに間違いであった。「限定された状況でなら」ある程度のコミュニケーションがとれる「場合がある」という程度だということを、先日イヤというほど思い知らされた。H さんがいらっしゃらなければとても L 氏との意思疎通など果たせなかったに違いない。
いや、これはぼくに限った話であって、K さんや N さんは普通にしゃべっておられた。すげーなーと口を開けて見ているより他に術がないというのも、なんともアレな話である。読み書きなら何とかなるんだがな、などと典型的日本人的セリフをぼやいている場合ではない。やはり人間勉強だ。とりあえず英語音声英語字幕で映画を見るところから始めることにする。
規則正しい生活は規則正しい食事からという真理に気付いてハタと膝を打ち、かつ痛感している白林檎である。
ダイエーで昨日、今日と駅弁フェアのごときものを催していたようだ。キャットショーを見学に行っていた相方と駅で待ち合わせ、夕食のネタを探しにダイエーをのぞいたところ、何やら入口前が騒がしいので、それと知れたのである。つれづれなるままに眺めてみると、なるほど、地方によって実に様々な弁当がある。少々割高だが夕食はこれでもいいなあと眺めていたが、同じようなことを考えているのであろう、かなりの人数が弁当を物色していた。なにしろこのご時世である。駅弁などという牧歌的なシロモノは普段どころか
旅行中でさえ なかなか食べる機会がない上、探そうと意図しない限り巡り会うことすら難しい。もはや地方名産品と呼ぶべき類なのである。
左様な現状は潜在的駅弁ファンにとっても機会滅失の危機だが、弁当を販売する会社側にとってはより深刻な状況であるに違いない。主催がダイエーなのかどこかの商社なのか弁当屋なのか知らないが、実にうまいことを考えたものだ。
ということで、夕食は駅弁に決定。ぼくは広島駅の「牡蠣しゃもじ弁当」、相方は北海道の海産物がたくさんのったちらし寿司を選んでいたが、名前は忘れた。これは駅ではなく空港の弁当ということで、駅弁とは微妙に違うような気がしてならないのだが、箱にはどこにも駅弁とは書いていないから、まあセーフということにしておこう。
弁当を食べたのが夕方の五時頃。それから、相方は徹夜明けであったので、早々に八時頃就寝。ぼくはというと昼頃起きたもので、かゆみ止め兼トランキライザーを飲んでもなかなか眠気が来ない。なんだかんだで夜半を過ぎてしまった。こうなると、自然の摂理として、腹が減ってくる。気が付いたらセブンイレブンにいて、ハムカツサンドなどを買っている。
満腹にはなったが、これで満足して寝たりしたら大変だ。胃が荒れる。もう二時間は起きていなければなるまい。まあこのようなわけで、規則正しい生活は規則正しい食事から、という真理に思い至った次第である。やれやれ。