白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2004.1.19

 そういえば大阪府知事選が告示されているが、ポスターを見る限り 秀吉さん(仮名) は今回立候補していない模様である。大坂城はもう諦めたのだろうか。

 久しぶりに整体に行ってきた。ぼくの行っているところは朝も早くから開いていて、お年寄りの憩いの場となっている。以前、徹夜明けの八時頃に行ったら随分待たされたので、これはいかんと午前中は敬遠することにしていた。が、そのお年寄りの方々が帰宅される十時過ぎくらいは比較的空いているとの情報を入手し、今日はそれに従って十時半頃訪ねた。すぐにマッサージしてもらえるかと思いきや、早朝よりも混んでいる。月曜日だからだろうか。

 ともあれ、新年以来凝り固まっていた背中を揉みほぐしてもらってきた。また明日も行こうと思う。

2004.1.16

 ナムコ『バベルの塔』には中毒性があり、夜にプレイせぬ方が良いということがわかった。眠い。

2004.1.15

 というわけで早速日本橋へ行ってきた。まあ、別にファミコンのカセットを漁りに行ったわけではなく、マイクを買うというちゃんとした目的があったのだが。もっとも、カセットもちゃんと買った。ゼビウスとファミリージョッキーとバベルの塔という、オマエはナムコの手先かと思われそうなラインナップである。

 さらに、何故か 数値化情報処理式多重録音装置 まで買ってしまった。FOSTEX の機械である。ぼくはカセットテープを使う多重録音装置を持っているのだが、それと比べると隔世の感がある。音質に劣化がないのは当然として、分離が非常によろしい。トラックのバウンスが驚異的な速さで終了する上、まとめたトラックをステレオの WAVE に変換して、万能直列回路経由で個人用電算機に転送出来てしまうのだ。音質に神経を使いながら必死でテープ操作をしていた数年前がまるでウソのような手軽さである。

 唯一の難点は、WAVE の転送が窓群にしか対応していない点だが、まあこれくらいなら許す。面倒ではあるが、窓から入ってきたからといって音が悪くなるわけでもない。

2004.1.14

 ここのところ妙に忙しかったので、日記がご無沙汰になっていた。この日記も随分と長く続いていて、リストを表示させると我ながら感動を禁じ得ないのだが、その一方で過去の日記を読み返すには現在の形態はあまり適さないことも事実だ。ちょっとどころかかなり適さないのであって、書くときは前日や前々日の話を前提にオチをつけていても、閲覧するときには逆順になるわけだから、読みづらい云々以上に表現形式の問題である。大袈裟だが。で、表示部の仕様を変更をしようかどうしようか、迷っている次第。まあ作っておけば仕事の役にも立つであろう。

 コメディ『アダムスファミリー』を借りてきて、鑑賞。ツタヤに日本語吹き替え版のビデオしかなかったので、仕方なくそれを借りてきたのだが、セリフ回しも含めていい具合にローカライズされており、吹き替え版もときどき見る分には面白いものだと思った。この作品、ぼくは昔の自動車の TVCM、多分ホンダのオデッセイだったと思うのだが、その CM でのみ知っていた。なんつーか、ギャグマンガのノリでとても楽しませていただいた。ラストはアメリカン・ホームコメディのお約束だったが、それもまた良し。

 ところで今日の日記は実を言うと翌朝書いているので、今朝知ったニュースもメモしておく。スラド経由。GBA 向けに初期ファミコンタイトルが移植されるそうだ。早速買わねばと思ったのであるが、よく考えてみたら我が家には 稼働するファミコンを確保してある ので、日本橋へ行って中古のカセットを買った方が大分安く付くな。GBA を持っていれば出先で遊べたりしてなかなか素敵な感じだが、外出先ではゲームより本の方を好むので、遺憾ではあるが、やはりここはおとなしく中古屋へ出向くべきである。

2004.1.8

 これといって面白いことも起きないので、久しぶりにコンタクトレンズを着けてみた。

 ぼくの右目は純然たる近視であるようだが、左目にはこれでもかというほどの乱視が入っており、とてもではないが裸眼で視力検査に望む勇気など沸いてこないほど視力が落ちている。おそらく、まともに測定したら 0.1 もないだろう。当然、眼鏡が手放せないわけだが、左目についてはもはや眼鏡ではあまり矯正出来ていないという、とても困った状況にある。もっとも、両目ではちゃんと見えているので、自動車の運転に支障はない。念のため。

 ところが、と書いて思い出したが、この「ところが」という接続詞を最も巧みに使用する作家は北杜夫であると思う。何の本だったかちょっとすぐに出てこないのだが、確かエッセイの中に書かれた会話に「ところが、ぼくはそうは思いません」というのがあって、初めて読んだ時からこれは「ところが」中の白眉であると感動したものだ。言うまでもなく「ところが」は逆接の接続詞であるわけだが、ただ逆接にしたいだけなら「だが」とか「しかし」とか、いろいろな語がある。もちろん様々な語が存在するにはそれだけの理由があるわけで、「ところが」とそれ以外の逆接接続詞との間には、決定的な差がある。「だが」「しかし」が割と平坦な逆接であるのに対し、「ところが」には驚きとか予想外といった要素が含まれているのだ。もう一度先程の例を使おう。平坦な逆接を使うと、この文は「しかし、ぼくはそうは思いません」となる。ごく普通の会話文である。ところが、ここに「ところが」を使うと、えっ、ナニ、そうなのっ? という空気が行間に生じ、途端に躍動感が増すのである。故に、この会話文は「ところが」中の白眉だと思うわけである。

 あれ。何の話をしていたんだったか。そうそう、左目のことだった。

 その左目であるが、コンタクトレンズだと素晴らしく見えるようになるから不思議なのである。ので、できればコンタクトレンズで生活したいのだが、如何せん慣れぬうちは異物感がひどい。徐々に慣らしていこうと思い、今日は二時間足らずでさっさと外してやった。明日はもうちょっと長時間の装着にチャレンジしてみよう。