日本橋へ。メールサーバをリプレースするので、その機材探しである。といっても、メールサーバなので、HDD さえそこそこのものが載っていれば、特に良い機械はいらない。そういう方針で探した結果、2000 年発売の IBM Aptiva のなかなか良さそうなのが安くあったので、それを購入。ついでながら CPU 切り替え機のちょっといいヤツと、サーバコンソール用にちょっと不良のある液晶ディスプレイを買った。しめて \38,000 也。現在 FreeBSD 4-STABLE でシステムを構築中である。やはり FreeBSD は良い。Linux より断然 FreeBSD である。
マスコットでは遅れをとっている 気もしないではないが。
今回、CPU 切り替え機以外は中古専門店で買った。大阪市内という店である。とても店舗名とは思えぬ名だが、本当に大阪市内というのだから仕方がない。それはともかく、この店には随分と古いマシンが揃っている。PC 互換機や Mac はもとより、NEC PC-98 から業務用サーバまでという手広さである。この店の近くにもやたらとマニアックな中古品を扱っている店があり、これだから電気街巡りはやめられない。
そういえばニノミヤの Mac 館が閉店セールをやっていた。大した出物もなかったが、使いやすそうなフォントがひとつ安くなっており、これを購入。Mac 専門店が減るのは寂しいが、まあぼくも主にソフマップの Mac Collection を利用していたので、文句を言える立場ではなさそうだ。
この日記を書いている内に世界を作り終わったので、そろそろ次の作業に移ることにする。
風邪が治ったと思ったら
別の風邪に罹患し、 また数日を治療に費やした白林檎である。油断大敵。
ただゴロゴロしているのも癪に障るので、その間PS2『真・女神転生III』をやった。そんな元気があるなら仕事をすればよさそうなものだが、生憎左様な勇気は持ち合わせていない。こういうときはおとなしくゲームでもしているに限るのである。
女神転生といえば悪魔合体システムがあまりに有名だが、このシリーズの真髄はそれではなく、練りに練られたダンジョンである。ダンジョンに対応する日本語としては「迷宮」が一番近いと思うが、女神転生のダンジョンはまさに迷宮と呼ぶに相応しい。最近の温い RPG に慣れたプレイヤーはまず間違いなく愕然とするだろう。ラストダンジョンに至っては茫然とするに違いない。
といっても、『真3』のダンジョンは以前の作品と比べると少なからずわかりやすかった。後方視点に変更されたのも影響しているのかもしれない。一方でシビアなゲームバランスは健在であった。クリアレベルの平均が 80 を越す RPG なんて、今どきそうあるものではない。
ここ数日というもの、風邪をひいてエライ目にあっていた。ぼくは何とか持ち直したが、相方はまだ咳が抜けない。やはり冬にも関わらず髪を切ったのが原因だろうと睨んでいる。
自宅で仕事をしているとこういうときに融通が効いて良い。毎年この時期は作業が少ない事も幸いした。おかげで随分とゆっくり休むことが出来た。それはいいのだが、一日中眠っていた余波で、せっかく朝型に戻っていたリズムが崩れてしまった。まあそのうちリセットをかけようと思う。
営業で古墳だらけの街にある会社を訪問した。ぼくの住んでいる街もいい加減古墳の多いところだが、件の場所はまさしく墓だらけである。市内案内図を見て、日本武尊の陵はちょっと訪ねてみたいと思った。
ちょうど下校時刻に重なっていたのか、自転車を駆る高校生や、集団で帰宅する小学生と幾度もすれ違う。数年前まで自分も学生だったくせに、何だか妙に懐かしく感じる。N さんの日記にセーラー服の幻想と女子高生の魔法について書かれてあったが、これは魔法でも何でもなくて、青春なるものを懐かしむ心理の悪戯であろう。過去は一様に郷愁漂う思い出と化す。殊に思春期の記憶は、良くも悪くも非常に甘い。セーラー服はそこに心身共に浸るための一種の触媒である。触媒としての効果が在りさえすれば、別にセーラー服でなくとも、極端なことを言えばシャーペンと消しゴムでも良さそうだ。固定したイメージとしてシンボル化しやすいのがセーラー服であるというだけで、セーラー服にしろ女子高生にしろ特別な力を有しているわけではない。
青春といえば B 君が某塾を受験したそうだ。ぼくが不真面目な法学生をしていた頃、理工学部にも友達が数人いて、ひとりとは何度かバンドを組んだこともある。そのときのことを鮮やかに思い出した。彼は修士だか博士だかで大学に残っていたが、今年ついに社会人になると年賀状に記されてあった。さっき引き出しをひっくり返して確認したから間違いない。またみんなでビートルズを演りたいなぁ。
『フルメタルジャケット』を鑑賞。ベトナム戦争を扱った映画であるとか、海兵隊が主役であるとか、
「苦情」のネタになった とか、そういう予備知識はあったのだが、やはり一度見てみなければ何にもならぬと思い、ツタヤで手に取ったのである。
戦争をテーマにした映画はどうも二極化する傾向にあるようで、すなわち感動のヒューマンドラマか、そうでなければドンパチお祭り騒ぎ大作に大別されるように思われる。『フルメタルジャケット』はどちらかというとヒューマンドラマの系統に属すると思うが、涙を誘うようないわゆる「感動のドラマ」ではない。この作品では戦争を美化もせず、また非戦も訴えず、ただ淡々と海兵隊員とその身近にある戦争を描く。そのリアリズムがこの映画の味であって、観賞後に何とも言えない感慨を抱かせる。
大局的な目的はどうであれ、局地的に見れば戦争はただの殺し合いに過ぎない。殺される側はもちろん、殺す側のやるせなさが、画面を通して痛い程伝わってきた。どうもこのままいくとキューブリック信者になりそうだ。
ベトナム戦争といえば、ブッシュのタコが支持率を落としているらしい。めでたいことである。だがその対抗馬がベトナム戦争の英雄であるというのも、何だかいただけない話である。