天川という美しい名前を持つ村に、
ごろごろ水というあまり美しからぬ名前の水を汲みに行ってきた。名前こそ腹を下しそうであるが、このごろごろ水、日本名水百選の上位に名を連ねるほどの名水で、毎日2リットルずつ飲み続けるとアラ不思議、アトピーが奇麗に収まるという霊験あらかたな水である。
聞くところによるとこの水は酸化物の還元力に優れ、体内の活性酸素を除去する働きがあるのだという。アトピーの他、肝機能の回復から癌の治療まで万病に効能がある由。平日にも関わらずぼくたちの他にも大勢の客が汲みに来ていた。ポリタンクの他にペットボトルにも少し汲み、飲みながら帰ってきたのだが、飲み口は少し硬めで、コーヒーや紅茶の味が良くなるという謳い文句も信用して良さそうだ。
二時間弱のドライブで到着する
天川村は、緑豊かで、息抜きと休眼にはもってこいの場所である。ごろごろ茶屋という店の敷地内で水を自由に汲めるようになっていて、駐車料金を三百円取られるものの、基本的に何リットルでも無料で汲める。が、そこは節度を保ってほどほどにしておくのが礼儀というものだろう。自動車一台につきポリタンク五個までという制約も一応あるのだし、我が物顔に数百リットルも汲んで帰るのは、いかなる事情があったとしても流石に見苦しい。もっとも、かくいうぼくも今日はポリタンク六個に汲んだのであるが。制約を知らなかったとはいえ、恥ずべきことである。
茶屋というくらいで、もちろんここではコーヒーくらい飲むことができる。あまりメニューが豊富とは言えないが、一仕事のあとの休憩に、せせらぎを見下ろしながらアイスコーヒーを飲むのはなかなか悪くない気分だ。他にも、村内にはこの名水を使っている喫茶店がそこここに見受けられるので、覗いてみるのもいいかもしれない。安い駐車料金だけで名水を汲ませてもらえるのだから、せめて地元の観光産業にいくらかのカネを落としていくのも、これまた礼儀というものであろう。まあ、こちらは別に強要しないけれども。
Winnyを作った47氏が逮捕された。少しでも見識のある人なら、これがいかに愚かしいことであるかわかるはずだ。単に道具を作ったに過ぎない人間が逮捕されるなど、前代未聞である。カメラ付き携帯電話の普及によって書店等でいわゆるデジタル万引きが増加しているらしいが、これがより深刻化した場合、警察当局はソニーやシャープや松下や三菱や日電や京セラや(中略)を検挙するつもりなのだろうか。
楽曲を不特定多数と共有する事は、現時点では違法であると言わざるを得ないだろう。公衆送信権を侵害している事は明らかだからである。このインターネット時代にそもそもそのような権利をふりかざすのがおかしいという向きもあるが、悪法といえど法は法、法治国家ニッポンに暮らす以上は、それなりに法律を守るべきだ。もちろん、とっとと法改正してほしいものではあるが。
とはいえ、レコード業界は、現在の状況を悪く考え過ぎである。ぼくはP2Pファイル共有ソフトを利用した事がないからよくわからないが、2ちゃんねるなどを観察していてわかったことがある。彼らの意識において、P2Pファイル共有の利用とは、その名に反して「共有」ではなく、純粋に「入手方法」なのだ。つまり、わざわざ新星堂などへ足を運んでCDを買うという方法から、椅子に座ってマウスを動かしているだけで楽曲が手に入る方法を選んだのである。これはもう、ビジネスチャンス以外の何者でもない。それを違法性があーだこーだといってCCCDなどというタコ技術を導入し、下手にCDの売り上げを守ろうとするから話がおかしくなるのである。アメリカを見てみるがいい。今や楽曲のダウンロード販売で成功しているのはiTMSだけではない。まだまだCDの総売り上げには届かぬとはいえ、その成長率は目を見張るものがある。
47氏の逮捕に比べれば、RIAAの行っている個人を対象とした訴訟の方がまだ説得力がある。便利さを追及する人間の心理を否定する事は、人間文明を否定するに等しい。技術の発展を阻害するような取り締まりは即刻やめるべきだ。
ところで、今日は五月の誕生日ラッシュの二件目、すぐ下の弟の誕生日である。驚いた事に、彼は既に社会人二年目である。ぼくも年をとるわけだ。この弟は妙におっちょこちょいなところがあって、小さな頃から骨は折る、頭は割るで、大変な騒ぎであった。にも関わらず兄弟中で最も運動が得意なのだから不思議だ。あるいは怪我ばかりしてきたからこそ、体を鍛えなければという意識が芽生えたのかもしれない。体を鍛えるということに関してはぼくもちょっとは見習わなければならないと思う今日この頃。ともあれ、おめでとう。
ときどきNHKが気紛れに放送するのを除けば、大阪でカープの試合中継があるのは対阪神戦か対巨人戦のときくらいのもので、テレビで観戦できる日は実に少ない。その意味では讀売の強引さもなかなかありがたいものである。
テレビで観戦していて驚いた事が二つあった。まず一つ目は野球とはまったく関係がない。日曜洋画劇場の予告での出来事なのだが、ジュラシックパークの三作目が存在していたとは知らず、びっくりしてもう少しで銀河高原ビールを吹き出すところであった。
何考えてんだ、スピルバーグ。
もうひとつは高橋由伸の応援歌が『ライディーン』だったことだ。『ライディーン』といえばひとつしかない。YMOの『ライディーン』である。パチンコ屋のBGMにも使われるくらい威勢の良い曲だが、演奏されているのがメロディだけ、それもトランペット二本という音楽的に寂しい構成だったもので、景気がいいんだか悪いんだかよくわからぬというテイタラクであった。高橋由伸の調子が悪かったのもきっとこのせいに違いない。五月に入って調子を上げてきたのは、大分耳が慣れてきて、意識の外に放り出せるようになったからだろう。
ところで先日からテレビのリモコンが行方不明である。しかしながらちっとも困らない。テレビをほとんど見ないというと何となく健康なようであるが、その分Macにかじりついているので、少しも健康的ではない。また休眼日を作らなきゃなぁ。
ぼんやりとPerlを書きながら過ごした。本当はPerl詩くらい作りたいところだが、出来ぬことをするとひどく疲れるのでそんなことはしないのである。連休の合間はのんびりと、午後の日差しでも眺めながらまったりするのが良い。
最近リンク集に加えた
妖精現実 フェアリアルというサイトは、その筋では有名どころのようだが、ぼくが知ったのは先日のWindows 2000のソース流出騒ぎのときだ。それ以来、ときどき見ている。あそこの文章は良い意味で価値観を破壊してくれる。ここでいう価値観は個人的なそれではなくて、社会通俗的な、換言すれば常識という奴である。あの鋭い論理展開は一朝一夕で身に付くようなものではない。管理人はいったいどういう人物なのだろう。流石に妖精だけあってその正体はようとして知れない。
Cubasisのアップグレード通知が来た。Cubasisは開発を終了し、Cubase/seとかいうのになるらしい。そのスタートパックを半額で買う事が出来る。これならCubasisのファイルをそのままインポート出来るような雰囲気で、音楽の問題はあっけないほど簡単に解決した。素晴らしいタイミングでハガキを送ってきたメディアコミュニケーションとカメオインタラクティブに、それからいつの間にかユーザー登録をしてくれていた相方に乾杯。
日曜日深夜から今晩まで、相方の田舎で過ごした。例のログハウスである。猫たちは慣れぬ様子でウロウロしていたが、人間は温泉に行ったり軽い山仕事をしたりと、概ね快適に過ごした。
ところでぼくは以前携帯電話を持っていなかった、というか相方と一台を共用していたのだが、最近auの電話を買った。先月K.N.が大阪探訪をする際に連絡用にと買ったもので、最新機種である。最新機種であるが、ぼくは基本的にものぐさな人間なので、まだ方々へは連絡していない。何しろ実家にもつい二週間ほど前に連絡したばかりである。それもこちらから連絡したのではなく、たまたま電話がかかってきたのを幸いと番号を教えたのである。こういう気の長さは長所なのか短所なのか自分ではよくわからない。
さてこの携帯電話は、パケット通信が携帯電話とは思えぬくらい速い。喜んでUSB通信ケーブルを買い、iBookと一緒に持ち歩いている。ところが、田舎では電波が届かぬのである。おかげでメールひとつ受け取るのにも難儀したが、インターネットから切り離されたことでかなりの気分転換になったから、ちょうど釣り合いがとれたとも言える。
帰ってきてから、今日がこどもの日である事と、母の誕生日であることを思い出した。おめでとうございます。五月にはうちの家族の誕生日が集中していて、昔は何かの陰謀だろうかと思ったものである。想像するに、母は五月に特別な思い入れでもあるのだろう。これからしばらく、良い季節だ。