ウィキペディアの姉妹プロジェクトで、
ウィクショナリーというのも最近──でもないのかもしれないが──出来たようだ。面白そうだからこっちにも関わることにした。
ぼくはフジテレビ系『トリビアの泉』が好きで、時間のある時には欠かさず見ている。時間のある時に、と限っている段で既に「欠かさず」とは言わないのかもしれないが、ほとんどテレビ番組を見ないぼくにとっては、念頭にあるだけでも充分「欠かさず」の範疇に入る。他に『タモリ倶楽部』なども該当するが、以前にも書いたから重複は避ける。
とにかく『トリビアの泉』が好きでよく見ているのだが、見ているのみならず、恥ずかしながらときどきネタも投稿している。そして、これまた恥ずかしいことに、一度も採用されたことがない。そうかぁ、みんな知ってるのかぁ、それとも既出なのかなぁ。などと思っていると翌週似たようなネタが披露されたりもするので、書き方の問題なのか、あるいはぼくが言うと信用されないのかもしれない。
ネタを投稿するというのはつまりウンチクを垂れたがる癖があるので、ウィキペディアにしろウィクショナリーにしろ、自分の知識を公の場に記述して、それを大勢が参照してくれるというのは、得も言われず嬉しい。自分の書いたものを誰かが加筆訂正し、あるいは誤字を修正し、またぼくが他の記事でその役割を担ったりなどして、色々な記事が育っていくのを観察するのも、実に楽しいことなのである。
FreeBSD 5.3RELEASEが出た。ついに5-STABLEである。でも、しばらく様子見。
ラトックの外付けリムーバブルケースを買ってきた。FR-DK2という製品で、型番から類推できるようにIDEのHDDを二台搭載できる。さらにはFireWire接続であるため、ホットスワップも可能という優れ物だ。余談だがぼくはラトックのリムーバブルソリューションをやたらと愛しており、うちにはリムーバブルケースだけで五台、交換ケースに至っては十個弱も転がっている。転がっているだけでなく、全部きっちりと活用している。まことにもって、これは素晴らしい製品であると思う。
ラトックの宣伝はともかく、今回これを買ってきたのは、ファイルサーバの環境を移行するためであった。すなわちMac OS XでミラーリングのソフトウェアRAIDにするという計画である。サーバOSは別にMac OS X Serverのままでも構わなかったのだが、もはやメンテナンスすらされていない古いバージョンであることから、クライアント版のMac OS X 10.3で構築することにした。
データの移行は時間こそかかるがそれほど大変な作業でもない。うちではファイルサーバで情報共有用の内部サイトも立ち上げており、ここで使っているMySQLのインストールに若干手間取ったが、それほど苦労もなく完了。あとはクライアントの接続確認だけである。ここで一息ついて、盛りそばを二人前ほど平らげる。
ところが、ここで安心してはならなかったのだ。何と驚いたことに、Mac OS Xの「パーソナルファイル共有」は、デフォルトでは起動ボリュームしかマウントさせてくれないのである。他に同時接続クライアント数が10台までに制限されているなど、Server版とはマイクロソフトばりのセコい差別化をはかっているが、まあこれは実害がないから許せるとして、他のボリュームをマウントさせてくれないとは何たることか。これは明らかにMac OS 9から後退している部分といって良い。
とはいえ、Mac OS Xは一皮むけばUnixなのであるから、何か適当な設定ファイルをいじくれば何とかなりそうである。UnixというよりはOPENSTEPだから、この場合はNetInfoか。左様に当たりをつけてGoogle様にお伺いを立てたところ、案の定、
制限の解除方法があった。制限解除というよりは、普通の手段では設定できない項目をNetInfo Managerでhogeって設定するという手順なのであるが、何はともあれ
ざまぁ見やがれという気持ちで胸が一杯になった。これだからシステムいじりはやめられないのだ。
ちなみに
SharePointsという、GUIの設定ツール──あ、NetInfo ManagerもGUIか。ともかく、よりユーザーフレンドリーなツールもあるので、Mac的な手法を好む向きにはこちらが適しているであろう。
本当は、こんなツールを使わなくても、またServer版を買わなくとも、デフォルトで好きなボリュームを好きなだけ共有出来る方が、精神衛生上ずっと良いんだけどな。システムファイルは仕方がないにしても、自分の資源が自分の思いのままにならないなど、Macの精神に反している。Tigerでは直しておくこと。
68k MacでMac OS X 10.3を起動した人がいるそうである。PantherはG3以上が必須環境なので、実際にはまずLinuxを起動し、その上でPowerPCのエミュレータであるPearPCを動かし、その上でPantherをbootという手順らしいが、これでいくと、OSの起動完了までに
一週間かかるのだそうで、これはもうアッパレというより他にない。こういうバカな実験をする人は愛すべき存在である。
ぼくのPower MacはPantherの起動完了までにおよそ一分強かかるのだが、上記の環境と比較すると、単純計算で約壱萬倍ほど速いということになる。これは現在のコンピュータが格段に進歩したことを示す一方で、それだけ速くなったコンピュータでも起動に一分もかかるほど、システムが肥大化したことをも示している。何しろ68k Macの時代、システムは20秒もあれば起動したのだ。
もちろん、当時と現在とを、ただシステムのサイズだけで比べるのは愚かなことである。何しろ漢字TalkとMac OS Xでは、その性能差は比較にすらならない。使いやすさも、ある面では低下したが、全体的には向上したといって良い。そうはいっても、使い始められるまでにこんなに時間がかかるようでは、「家電的コンピュータ」などは冗談にすらなるまい。これはMacだろうがWindowsだろうが同じことだろう。
とりあえずもうちょっと起動時間短縮できないかなぁ。そろそろCPUアップグレードカード、買おうかなぁ(結局それか)。
iPodの新しいバージョンが出た。
ひとつは、写真も扱えるiPod Photo。画像を扱えるようになったことで、可能性がぐんと広がった。もちろんこれまでもリムーバブルストレージとして使えたiPodだけれども、単体で画像を表示したり、AV出力が標準で可能になったというのが画期的なのである。
スラドでは早速「大量の地図を入れておけば有用っぽい」という意見が出されていたが、ぼくもまったく同感である。プレゼンにも使えそうだ、という意見もあった。これも同感。普通なところでは、撮りためた猫とか子供とかの写真のスライドショウを訪問先のテレビで上映という、ちょっと退屈な使い方も考えられるが、手ブレのない分、ホームビデオよりはずっとマシであろう。
少なくとも結婚披露宴などで「思ひ出」といった類いのスライドショウ・ビデオを上映するのに、わざわざビデオを作る必要がなくなったことは、若いカップルにとって朗報であると言って良い。まあ、ビデオ屋の仕事は確実に減るだろうけどな。
後は実物を見て、液晶の具合などを確かめ、それから風評に注意を払い、変な不具合がなさそうなら、今度こそぼくは買うだろう。
しかし、実はもうひとつの方、つまりiPod U2 Special Editionの方が欲しい。黒いケースに赤いホイールというちょっとナチっぽいデザインだが(とりあえず黒ポッドと呼ぶことにした)、別にそれを意識したわけではなく、U2のニューアルバムをイメージしたカラーリングなのだそうである。
iPodの新しいプロモクリップとあいまって、これはものすごくファン心理を刺激する製品である。ぼくなどはU2をそこまで熱愛してはいないからマシだが、二十年間常にU2の音楽を聴いてきたような人たちにはタマラン商品だろうと思う。さらに、これと併せて、iTMSではU2の全曲ボックス(CDにすると30枚分だそうだ)もリリースするとか。林檎会社もうまいことを思いついたものだ。
賭けてもいいが、この戦略はU2だけでは終わらないだろう。つまり黒ポッドの販売は半年くらいで終了し、次はオアシス、その次の半年間は……とそこまで頻繁ではないにしても、きっと左様なタイアップ商品を出してくるはずだ。iPodとiTMSの優位はしばらく続きそうな予感である。
両方買っちゃおうかなー。とか。困った。。。_| ̄|○
すっかり風邪引き生活を送っている白林檎である。ぼくには生来アレルギー鼻炎の気があるため、常にティッシュを手放せない。そのようなわけで、保湿ティッシュを発明した御仁には是非ともノーベル医学賞か何かを差し上げたい気分である。もちろんぼくはノーベル賞の選考委員でも何でもないから、そうなればいいなと願うだけではあるのだが、実際ぼくが本当に選考委員だったなら、まず間違いなく彼を医学賞にノミネートする事であろう。保湿ティッシュはナントカ遺伝子の発見などよりずっと臨床医学に貢献している。
ノーベル賞で思い出したが、昔ぼくは
タンタンの冒険物が好きでよく読んでいた。タンタンというのはベルギーあたりの漫画で、ルポライターのタンタンがいろんなことに首を突っ込むうちに事件に巻き込まれて云々というようなシリーズである。
ちなみに彼の名は原語で
TINTINと綴るが、これはもちろん「タンタン」と発音するのであって、他の何物でもないから、婦女子諸君が顔を赤らめる理由などはどこにもない。
タンタンシリーズはもちろんベルギー語で出版されているのだが、日本語訳の本が
福音館書店から発売されている。この日本語訳というのが非常にクオリティが高く、訳語として優れているのみならず、ギャグまでローカライズするという手の込みようである。
さて、そのタンタンシリーズのひとつに「ふしぎな流れ星」という作品がある。北極に謎の流れ星が落ち、その調査にタンタンと科学者一向が向かうが……という内容なのだが、ストーリーの都合上、科学者ひとりひとりの紹介というのが途中にある。もちろん、架空の人物なのであるが、その紹介文というのがいちいち凝っていて面白い。その中の一説に「ノーヘル物理学賞」というのが出てくるのである。
小学生当時は、単にダジャレとして面白かった。このノーヘル賞というのはおそらく「脳減る」もしくは「能減る」で、ヘルメットをかぶらずにバイクに乗る事ではないと思われる。少なくともダジャレとしてはその方が面白い。
年齢を重ねるにつれて、ダジャレとしてよりも批判的なユーモアとしての側面から、このノーヘル賞が頭から離れなくなった。ノーベル賞を受賞するような学者は当然かなりの権威であるのだろうが、その成果は一般人には容易に理解し難い。それをさもありがたがって、古くは湯川博士、最近では田中さんを国の英雄の如くまつりあげるのは実に滑稽なことだ。と、まあ、そういう思いを訳者はこめたのではないかな、と、思うようになった次第である。
そんなわけで、ノーベル賞選考委員会も、ナントカ遺伝子の発見などといった小難しいことばかりではなく、保湿ティッシュの発明などの身近な貢献にスポットを当ててみるのも、悪くないんではないかと思うのである。