日本代表、劇的な勝利。まあ劇的は劇的だが裏を返せば危なっかしいということなので、もうちょっと安定した試合運びを見せてくれると白林檎としてはとても助かる。
北朝鮮──韓国ではこの国を「北韓」と呼ぶらしい。一方、北朝鮮では韓国を「南朝鮮」と称するのだそうだ──の代表チームは、意外といっては何だが、なかなかの実力派である。いつぞやのオリンピックでは上位入賞を果たしたことがあったような気がする。これはちょっと記憶が曖昧なので当てにならないが、韓国に勝るとも劣らぬ力を持っていることは、今日の試合からも伺い知ることが出来る。日本は先制こそしたものの、ずっと押されっぱなしだった。
ぼくはちっとも知らなかったのだが、北朝鮮の選手でJリーグでプレイしている人がいるのだそうだ。上の方が何やらもめているから、ちょっと驚いた。万景峰号もつい最近まで新潟に入港していたし、いくつかの北朝鮮系資本も日本で繁盛していたりする。民間レベルでは案外仲良くしているようだ。国を憎んで人を憎まず、といったところか。
試合を観ていると、久しぶりに相方の友人のH.K.が来訪。数年ぶりに会ったが、元気そうだ。
冨樫義博『ハンター×ハンター』最新刊が発売されたので、購入。段々発売サイクルが長くなっているのは気のせいではないはずである。しかし、それも仕方のないことだ。ジャンプとコミックスの絵を見比べてみればわかる。冨樫さんはジャンプに入稿する時は下描きを持っていき、コミックスにするときにあらためてペン入れをしているからだ。連載が休みがちになるのも仕方がないし、コミックスの発売が遅れるのもこれまた仕方のないことなのである。
また、最近は『幽遊白書』の豪華装丁本の発売も重なっている。まさかこちらに筆を加えるようなことはしていないだろうが、表紙は描き下ろしイラストだから、やはり『ハンター×ハンター』の連載にも影響が出てくるはずだ。
冨樫義博先生におかれては、こうやって自分を無理矢理納得させている読者の胃に穴が空く前に、状況を何とか改善していただきたいものである。
つーか、とりあえずネットゲーやめれと言いたいのを我慢しているこちらの心情も考えてもらいたいものだ。
ゲームといえば『ハンター×ハンター』にはテレビゲームにヒントを得たと思われる状況や表現が多いが、21巻に収録されている話ではこれがさらに顕著である。冨樫さんがプライベートなどで「ああ、アバタールチューナーやったんですね」とか「ファイナルファンタジーでは5が一番好きでしょ」とか突っ込まれてやしないか心配だ。
ジャンプといえば和月さんの『武装錬金』の掲載順がヤバイとかいうことなので、ぼくもコミックスを買って応援しようかと思ったが(完結してから一気に揃えようと思っていたのである)、よく考えたらジャンプを毎週五冊ずつくらい買ってきて、アンケート葉書を出しまくった方がよほど効果がありそうだ。よってとりあえず様子を見ることに。
和月さんは『るろうに剣心』でデビューしていきなりブレイクしたが、その次のナントカいう西部劇マンガ(?)では打ち切りを食らっている。白林檎的にガンマンというのはあまり興味がなく、そのナントカいうマンガも「打ち切られた」という話題で初めて知ったくらいなのだが、『武装錬金』では初心に返って剣劇のようだから、ひそかに応援しているのだ。まあ、ひそかな応援などというものほど役に立たないものもないのであるが。
大寒波襲来である。カンパなら大歓迎だが寒波は大嫌いだ。天候に文句を言っても仕方がないのはわかっているが、嫌いだという感情だってどうにもしようがない。だって、寒いじゃないか。
夜、自動車のエンジンをかけた後でふと車外気温計を付けてみたら、零度であった。この気温計は大体において1度ほど誤差があるので、それを加味すると氷点下1度ということになる。なんともふざけた話である。
こういう寒い夜にはフロントガラスに霜が降りているものだが、今晩はそのようなことはなかった。ただ少し埃が付いていたので、ワイパーをかけようと何の気なしにウォッシャー液を吹きつけたところ、けしからぬことにガラスについたウォッシャー液がたちまち凍りついた。ワイパーをかけてもガリガリいうだけで、一向に視界が開けない。ぼくは憤慨し、降りていって──まだ発進せず駐車場での出来事だったので──フロントガラスを直接拭いてやろうかと思ったが、ドアを開けたところさっと寒風が吹き込み、ようやく暖まりかけていた車内が瞬時にして冷えきってしまったため、ワイパーに任せておとなしく待つことにした。人間、一時の感情に任せて行動してはいけない。さもないと風邪をひくなどの憂目にあう。
とはいえ、全国的にみればこの辺はかなりマシな部類に入るようだ。灘で玉突き事故が起きたり、福岡ですら吹雪いていたにも関わらず、朝こそ少し雪がちらついていたものの昼にはすっかり融けていた。
ジャストシステムが松下との裁判に負けて、一太郎と花子の販売差止命令をくらったそうである。一太郎にはPC-9801時代に大変な世話になったものだが、もはやATOKすら使っていない身としては、ほとんど他人事である。しかしながら優秀な国産ワープロが消えてしまうのは日本のIT業界にとって痛手以外の何物でもない。
松下も何を考えて左様な訴訟を起こしたのか知らないが、ここらで勘弁してやってほしいものである。
毎年しつこいようであるが、この時期はMacintoshの降誕祭シーズンである。1984年1月24日、スティーブ・ジョブズの今も変わらぬ得意げな笑みと共に、後にMacintosh 128Kとして知られるオリジナルMacが、大衆の前に姿を現したのだ。発表セレモニーや、一度だけしか流されなかったTVCMなど、今やほとんど伝説として語り継がれているMacintoshの誕生の瞬間である。もっとも、そのインパクトの割にはスペックがイマイチだったというオチも付いていた。その後、アップルはすぐにメモリを512KBに増強したモデルを発売している。
1984年といえばロス五輪のあった年で、ぼくがまだ六歳頃の話である。JRは国鉄であったが、一万円札が聖徳太子から福澤先生に変わったのはこの年だ。確か、中途半端に新しもの好きな父が、発売されたばかりのファミコンを買ってきたのもこの頃だ。CDはまだ出たか出ていないかの頃で、コンポといえばレコードとカセットテープ。ビデオデッキはそろそろ各家庭に普及していたかもしれない。
Macの発表劇は当然アメリカで行われたことで、ネット中継はおろか衛星放送すらなかった当時、日本のコンピュータマニアがその様子を知る術は皆無に等しかったことだろう。いくつかのマイコン雑誌が特集を組んだりなどしたらしく、情報自体は入ってきていたようなことは聞いたが、「なんかグラフィカルらしい」「なんか合成音声で自己紹介したらしい」といったことがいくら言葉を尽くして誌面になっていようとも、半信半疑だったのが当時のマイコン少年(謎)たちの正直な心境だったのではなかろうか。そして同時に激しい憧れをかきたてられたことだろう。
最近、この発表会の映像が、デジタル化されて公開された。スラドで話題になっていた。何でもずっとベータで(ベータというのが泣かせる)保存していた人がいて、何とかいう会社がそれを発掘し、デジタル化したのだそうである。当時マイコン少年だったとおぼしき人々が感動の涙にむせいでいた。
まがりなりにも林檎好きを自認している白林檎としても、これは見ないわけにはいかない。BitTorrentなんぞを初めて使い、この貴重な映像を鑑賞させてもらった。もうね、これはもう、Mac使いなら一度見ておいた方が良い。いかに宗教的と言われようと、自分の愛用するコンピュータの祖先が生まれた瞬間を、我と我が目で確かめることの感動は、筆にもキーボードにも尽くし難い。
英語サイトの上にBitTorrentが必要であるが、リアルプレーヤーがあればストリーミングでも見られるようだ。蝶ネクタイの似合わぬ、若き日のスティーブ・ジョブズを拝めるだけでも、この動画は一見の価値がある。是非に。
しばらく前からごろごろ水がなくなっていたので、仕事をある程度片付けてから、午後から天川へ行った。ただ、実を言うとあまり気が進まなかった。天川村の近辺は標高が高く、ひょっとしたら雪が積もっているかもしれないと思ったからである。しかしごろごろ水がないと死ぬ──ということはないが、ちょっと困るし、二月ともなればますます寒くなるだろうから、今の内に汲んでおいた方がよかろうとも思っていた。
一昨日くらいまで近畿中南部は天気があまり良くなく、つまり雨が降ったりなどしていた。大阪は雨で、奈良も雨だったろうが、標高が高くなればすなわち雪になるのであって、実際、奈良でも山の上の方は雪が降っていたらしい。だが昨日から今日にかけては太陽が顔をのぞかせていたし、比較的暖かかったから、少々の雪くらいなら今日の午後には融けているだろうと考えた。道端に雪かきのあとの山くらいは残っているかもしれないが、いくらなんでも道路にまで残っていることはなかろう。
そのようなわけで自動車を走らせること二時間弱、天川村に到着。
……積もってるし。。。_| ̄|○
しかも早々と路面がところどころ凍結している。それでも何とか村内を恐る恐る走っていったが、水汲み場の700mほど手前からはもはやチェーンがなければ走行不可能な路面状態となり──何しろブレーキをかけても止まらぬくらいにタイヤが滑るのだ──撤退を余儀なくされた。登るくらいなら出来たかもしれないが、100kg近く水を積んであんな道を下ってくるような蛮勇は生憎持ち合わせていないのである。
相方の弟が先日からアメリカに留学している。そろそろ生活も落ち着いてきたようで、英訳された日本のマンガを買ってみたりなどしているそうだ。だが価格が高く、しかもほとんどのマンガで巻が揃っていないなど、あまりマンガ事情が良いとは言えないようである。
そのようなマンガ事情の中、サムライものだけは圧倒的な品揃えを誇っているらしい。親日的と言えなくもないが、日本へ観光に来たアメリカンが
There are no SAMURAIs!!!! などと
アメコミ風に叫び出しやしないかと心配でならない。