平成十七年十一月十五日晴天大安吉日紀宮清子内親王殿下御結婚之儀開催而地震是有於茨城県白林檎曰仰天動地也。哎呀。
皇室で吉事があって何か催しがあるとき、必ずボンボニエールなる小箱が引出物として下賜されるそうである。テレビの画面で見る限り、浅田飴の缶とベビーパウダーの缶のちょうど中間くらいの大きさの容器である。今回は陶器であったが、かつては金属製のものが多かったようだ。明治時代から始まった風習だそうで、サーヤのご結婚の儀に合わせて、京都の何とかいう博物館で歴代のボンボニエールが展示されている。そこの館長によれば、ボンボニエールとはフランス語で菓子入れというような意味で、必ず金平糖を入れて振る舞われる由。かつて砂糖が貴重品だった時代には、黄金と同じくらい上等な扱いを受けていたそうだ。
先日のT.F.の結婚式では、金平糖ではないが、土産として栗きんとんが振る舞われた。正月のお節料理に入れられるようないわゆる栗金団ではなく、もっと和菓子然としたものである。岐阜の名物だそうで、上品な甘さで、美味かった。食べればすぐになくなってしまうものの、記念品的な品物をもらうより、ずっと印象的だと思う。
賞味期限が翌日という点もT.F.らしいセンスが感じられて良かった。
そうそう、カスピ海ヨーグルトであるが、出来なかったのは気温の低いのが原因であったらしい。冷蔵庫から出して室温に置いておいたら、何事もなかったように発酵したそうだ。まったく、人騒がせな話である。
近々関西で大きめの地震があるかもしれない。カスピ海ヨーグルトが発酵していなかった。嘘か本当か知らないが、これは地震の兆候なのだそうだ。山の頂に地震雲でも出ようものなら極め付けだが、こちらはまだ確認していない。
獣は人間と比べて天変地異に対する予知能力に優れていると言われる。うちには猫がわんさか居住しているから、地震予知についてはさぞかし有利だろうと思われるかもしれないが、困ったことに、ちっともそんなことはない。どいつもこいつもグラっときてから初めて──つまり人間と同じタイミングで「あ、地震だ」という顔をするからだ。飼い猫の感覚など所詮こんなものである。
それにしても、紀宮様の結婚式を間近に控えてこういうことがあるのは一体何の因果かと思う。過去、サーヤが結婚に関して何らかのアクションを起こす度にどこかで地震が起きていて、まあ偶然の産物だとは思うが、こう何度も重なると流石に何か超自然的な存在を疑わざるを得ない。すなわち何かの神様が荒御霊となっているのではないか、ということである。こういうときに昔なら元号を(以下略
素直にご婚礼を祝福したいと思っているから、何も起きぬよう祈るばかりである。
一昨日の実家の梅酒の件だが、関係筋からの情報によれば、母は今も造っているとのことである。関係筋というのが要するに弟なのであるが、彼はつい先日風邪をひいて寝込んでいたらしい。今年の風邪は腹に来るそうで、症状を子細に報告してくれた。読めばなかなかタチの悪そうな風邪である。
冬の風物詩といえば風邪に年賀状、こたつにミカンであるが、この末弟はかつてミカンを三日で三百個近く貪り食い、手を真黄色にしたものだった。しかし、最近はそんなこともないようだ。ビタミンCを摂取していれば風邪不知というわけでもなかろうが、せめて一日に三個くらいは食べた方が良いのではなかろうか。
かくいう白林檎は、ミカンを毎日ひとつは必ず食べる。冬を先取りしているのである。もっとも、今日は梨をオヤツにして、夕食のオカズは秋刀魚であった。進んでるんだかワンテンポ遅れてるんだか判然としない食生活であるが、旨ければ全て良し。明日辺りはリンゴを齧るつもりでいる。決して
共食いではないので、ご心配なきよう(謎)。
小春日和というにはちょっと時期が遅いような気がするが、ともかく今日は暖かい一日だった。目が覚めてみると相方が右手に梅干をひとつ持っていて、食べないかと言った。相方の母君はときどき梅ジュースを作るのだが、そこに漬かっていたものだという。曰く「漬け過ぎて、かなり甘いけど。」
漬かっていたものだから梅干というよりは梅漬と呼ぶべきなのだろうが、まあこの際そんなことはどっちでも良い。梅干だろうが梅漬だろうが、ぼくの大好物であることには間違いない。そこで、一も二もなくいただくことにした。丸のまま頬張ると、「わ、本当に食べた」と驚かれた。こんな美味いものを食わずに放っておく方がどうかしている。まだまだ沢山あるから、どんどん食べてくれと言われた。相方から見るとよほど見事な食いっぷりだったのだろう。
梅といえば、ぼくの母も昔はよく梅酒を造っていた。今もそうなのかどうかは知らない。造るときは大きなガラスの容器の七、八分目くらいまでホワイトリカーを注ぎ込み、氷砂糖を少量、それから青のままの梅の実をゴロゴロと入れていた。梅が入ると容器の口の辺りまで酒で満たされるという案配である。その後、これを台所に備え付けの、床の一部がパカッと開く収納(名称がわからん)に入れて、そのまましばらく寝かせておく。間違っている箇所もあるかもしれないが、大筋ではこのような手順だったと思う。
あるとき、二年間かけて熟成させた梅酒の容器が、一口も飲まれぬうちに割れてしまったことがあった。もしかしたらこれがトラウマになって、最近は造るのを止めてしまったかもしれない。
味のしなくなった梅の種をしゃぶりながら、そんなことを考えていた。それから、近所のスーパーへ出掛けて行って、カンパンを二缶買った。
UMAと称される動物のグループがある。ウマではない。ウマなら毎週府中のトラックで競走している。
日本で作られたこの造語はユーマと発音し、未確認動物という意味を持つ。「ぼかぁ確かにこの目で見たんです」「この足跡は間違いなくビッグフットのものだと私は思います」「いるとしか言えない」等々、証言や状況証拠の如き物は相当数が報告されているにも関わらず、科学的な調査となると突然雲隠れしてしまう動物の総称である。要するにネッシーとかクッシーとか、イエティとかツチノコとか、まあそういった連中のことだ。
こういった動物の話や、それを求めてジャングルに分け入っていく探検隊の話などは、一般に荒唐無稽なものとして受け止められることが多い。しかし、オカピやコビトカバ、マルミミゾウなど、少数ではあるが、UMAと言われていたものが科学的に存在を確かめられた例もある。最近では謎の吸血生物チュパカブラが中南米を騒がしている。
アフリカはコンゴ共和国には、モケーレ・ムベンベというのがいる。ぼくが最初にこいつのことを知ったとき、その本には「ネッシーと似たような姿で、コンゴに広がる広大なジャングルの奥地、人跡まれな湖に棲息している」というようなことが書いてあった。つまり、首長竜のような生物として扱われていた。
ところが最近の研究では、どうもそれは調査隊の早合点だったらしいことがわかってきた。「モケーレ・ムベンベ」というのは現地で話されているリンガラ語で、その意味するところはちょっと忘れたが、日本語でいうと「化け物」とか「怪物」といった、割と意味の広い言葉であるらしい。一反木綿やのっぺらぼうや、とにかくそういった連中に遭遇すると、大抵の日本人はいちいち「一反木綿だぁ」などと騒いで逃げ出しはしない。「化け物が出たぁ」と叫んで、腰が抜けそうになりながら必死に逃げることだろう。モケーレ・ムベンベという言葉は、現地の人々にとって、つまりそのような言葉らしいのである。
何だかこれは将来性がなさそうなUMAだなぁなどと思いつつ、ふとウィキペディアを見ると、どうも最近では「一反木綿」とか「のっぺらぼう」に相当するような、個別の名称も収集されているという。詳しくは
ウィキペディアのモケーレ・ムベンベの項をご参照いただきたい。以下、その名称について冒頭部分を抜粋してみよう。
エメラ・ントゥカはリンガラ語で、「水中のゾウ」、「ゾウ殺し」といった意味の言葉……(後略)
ムビエル・ムビエル・ムビエルは、リンガラ語で「背中に板が生えた動物」の意味……(後略)
ングマ・モネネは、リンガラ語で「巨大な大蛇」の意味……(後略)
どうだろう、「化け物」よりはもうちょっと具体的になってきたとは思われないだろうか。なんでもコンゴのジャングルというのが、未調査地域が実に総面積の80%ということだから、こういった妙チクリンな連中がひょっこり顔を出してもおかしくない。調査隊の方々には是非とも頑張って、モケーレ・ムベンベを発見していただきたいものである。
それはそうと、「ムビエル・ムビエル・ムビエル」が「背中に板が生えた動物」という意味になる理屈がよくわからない。リンガラ語に通じている方と会う機会があったら、是非ともこの辺についても質問してみたい。