白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2005.11.19

 エセ漢文に誰も突っ込んでくれないので大変寂しい白林檎である。おかげで風邪をひいてしまった。もう大分良いが。

 漢文といえば中国であるが、今、かの国では、大学生の自殺が社会問題になっているそうだ。一人っ子政策のおかげで過保護な上にも過保護に育てられ、了見の狭いまま突然激しい競争にさらされるおかげで、自己崩壊するケースがほとんどだという。他国の話とはいえ、嘆かわしいことである。

 ところで、ほとんどのプログラミング言語では、ifという予約語が用意されている。これは条件分岐に使用するもので、平たく言えば「もしこういう操作がされたら、こう対応する」というプログラムを組みたいときに使うものである。多くの場合elseという語と対で用意されていて、「もし○○なら△△して、そうでなければ□□する」という動作をさせることが出来るようになっている。白林檎が愛用するPerlではelsifというのも用意されているが、スペルが非常にビミョーという点も含め、機能やら何やらを調べてみるのもご一興だろう。

 条件分岐はプログラミングに於いて最も基礎的な要素のひとつである。まあ、当然といえば当然だ。例えば自動販売機はコンピュータで制御されているが、そのコンピュータはプログラムによって動作している。100円を入れても500円を入れても同じ動作だったり、どのボタンを押しても同じ商品しか出てこないようでは、何の役にもたたない。役立たずどころか至極迷惑な存在になる。

 そんなわけで、条件分岐はプログラミングの基礎的な要素である。と同時に分岐条件の設定、つまり「プログラムが動作するシチュエーション」を想定する能力は、プログラマの基本スキルのひとつと言って良い。大袈裟な言い方をすると、未来を見通す能力が、プログラマには求められる。過去の事例を参考にしたり既存の資産を活用することはもちろんあるけれど、プログラミングという作業に於いて、時間は常に「現在」よりも少し先を走っている。

 どんな優秀なプログラマでも、予測を誤ったり、予想を遥かに超える状況に自分のプログラムがさらされることは必ずある。いわんや一般プログラマにおいてをや。一般プログラマレベルにすら達していない白林檎に至っては、自慢ではないが、作ったものが正しい(つまり白林檎の予測した)操作を一度もされずに終わることなどざらにある。

 こういうとき、プログラムは──というより、それが動作しているコンピュータはエラーを出す。エラーが出るのは腹立たしいものだが、考えようによっては安全機構とも言える。思いもよらぬ使い方をされ、データが思いもよらぬ状態になったまま操作が継続されて、思いもよらぬ散々な事態になるよりは、「こんな状況知りません」といって中断した方が、結果として安泰な場合が多いからだ。

 問題はエラーが発生したときの処理方法で、強制終了という最悪の事態を引き起こさずにいかにプログラムの進行を継続させるかが求められる。この辺もプログラマの腕次第ということになる。

 少し余談になるが、想定の範囲外という意味で、プログラムエラーのことを日本語では「例外」という。エラーが発生したときの処理は「例外処理」といって、プログラミングの教本などを見るとひとつの章を設けられていることが多い。

 さて、ここまで書いたことは、何もコンピュータプログラミングに限った話ではない。製造業や建設業はもちろん、すべての業種にも当てはまる話であるし、それどころか個人々々にとっても身近な話だ。週末に旅行をしようと計画をたてたり、翌日の予定を確認して空き時間の詳細を詰めてみたりというのは、誰しも経験のあるところだろう。

 中学校で素晴らしい成績を収めて○△高校へ進学し、現役で東大に入って首席で卒業した後、将来のことを考えてワカメを食べながら財務省官僚として働き、ゆくゆくは大臣になって故郷に新幹線を作るのだと野望を抱くのだって、いわば人生をプログラミングしているのである。

 現代社会において、人生に線路を敷くのは親の役割であることが多い。いわば子供プログラマである。世の中から大人がいなくならないところを見ると、ほとんどの親が何らかの結果を導くことに成功しているということになる──最初に予定していた結果と異なっていたとしても、だ。

 予定と異なる結果になるのは、子供の成長過程で、予想していなかった事がしばしば起きるからだ。だからといって、まさか成長をシャットダウンするわけにもいかない。そこで、方針を変更する。方針を変更すれば、それは結果だって変わるだろう。

 こういうことはしばしばある。むしろ一度も変更されない方が稀であろうし、変更すなわち親の例外対応を経験していない子供は不幸ですらある。何か障害に突き当たったときに「一度立ち止まって、進路修正を行う」という処理が許されることを、親から吸収出来ないからだ。

 正しい、あるいは比較的正しい例外処理を知らない人間は、例外にぶつかると、強制終了せざるを得なくなる。言い換えれば、自ら命を断つことを選択するケースが非常に多い。エリートとすることを期して英才教育を子供に施す者は、すべからく例外処理についてもきちんとプログラムしてやるべきである。それがプログラマの義務であるし、親として出来る最大限の教育というものだろう。

2005.11.15

 平成十七年十一月十五日晴天大安吉日紀宮清子内親王殿下御結婚之儀開催而地震是有於茨城県白林檎曰仰天動地也。哎呀。

 皇室で吉事があって何か催しがあるとき、必ずボンボニエールなる小箱が引出物として下賜されるそうである。テレビの画面で見る限り、浅田飴の缶とベビーパウダーの缶のちょうど中間くらいの大きさの容器である。今回は陶器であったが、かつては金属製のものが多かったようだ。明治時代から始まった風習だそうで、サーヤのご結婚の儀に合わせて、京都の何とかいう博物館で歴代のボンボニエールが展示されている。そこの館長によれば、ボンボニエールとはフランス語で菓子入れというような意味で、必ず金平糖を入れて振る舞われる由。かつて砂糖が貴重品だった時代には、黄金と同じくらい上等な扱いを受けていたそうだ。

 先日のT.F.の結婚式では、金平糖ではないが、土産として栗きんとんが振る舞われた。正月のお節料理に入れられるようないわゆる栗金団ではなく、もっと和菓子然としたものである。岐阜の名物だそうで、上品な甘さで、美味かった。食べればすぐになくなってしまうものの、記念品的な品物をもらうより、ずっと印象的だと思う。賞味期限が翌日という点もT.F.らしいセンスが感じられて良かった。

 そうそう、カスピ海ヨーグルトであるが、出来なかったのは気温の低いのが原因であったらしい。冷蔵庫から出して室温に置いておいたら、何事もなかったように発酵したそうだ。まったく、人騒がせな話である。

2005.11.13

 近々関西で大きめの地震があるかもしれない。カスピ海ヨーグルトが発酵していなかった。嘘か本当か知らないが、これは地震の兆候なのだそうだ。山の頂に地震雲でも出ようものなら極め付けだが、こちらはまだ確認していない。

 獣は人間と比べて天変地異に対する予知能力に優れていると言われる。うちには猫がわんさか居住しているから、地震予知についてはさぞかし有利だろうと思われるかもしれないが、困ったことに、ちっともそんなことはない。どいつもこいつもグラっときてから初めて──つまり人間と同じタイミングで「あ、地震だ」という顔をするからだ。飼い猫の感覚など所詮こんなものである。

 それにしても、紀宮様の結婚式を間近に控えてこういうことがあるのは一体何の因果かと思う。過去、サーヤが結婚に関して何らかのアクションを起こす度にどこかで地震が起きていて、まあ偶然の産物だとは思うが、こう何度も重なると流石に何か超自然的な存在を疑わざるを得ない。すなわち何かの神様が荒御霊となっているのではないか、ということである。こういうときに昔なら元号を(以下略

 素直にご婚礼を祝福したいと思っているから、何も起きぬよう祈るばかりである。

2005.11.9

 一昨日の実家の梅酒の件だが、関係筋からの情報によれば、母は今も造っているとのことである。関係筋というのが要するに弟なのであるが、彼はつい先日風邪をひいて寝込んでいたらしい。今年の風邪は腹に来るそうで、症状を子細に報告してくれた。読めばなかなかタチの悪そうな風邪である。

 冬の風物詩といえば風邪に年賀状、こたつにミカンであるが、この末弟はかつてミカンを三日で三百個近く貪り食い、手を真黄色にしたものだった。しかし、最近はそんなこともないようだ。ビタミンCを摂取していれば風邪不知というわけでもなかろうが、せめて一日に三個くらいは食べた方が良いのではなかろうか。

 かくいう白林檎は、ミカンを毎日ひとつは必ず食べる。冬を先取りしているのである。もっとも、今日は梨をオヤツにして、夕食のオカズは秋刀魚であった。進んでるんだかワンテンポ遅れてるんだか判然としない食生活であるが、旨ければ全て良し。明日辺りはリンゴを齧るつもりでいる。決して共食いではないので、ご心配なきよう(謎)。

2005.11.7

 小春日和というにはちょっと時期が遅いような気がするが、ともかく今日は暖かい一日だった。目が覚めてみると相方が右手に梅干をひとつ持っていて、食べないかと言った。相方の母君はときどき梅ジュースを作るのだが、そこに漬かっていたものだという。曰く「漬け過ぎて、かなり甘いけど。」

 漬かっていたものだから梅干というよりは梅漬と呼ぶべきなのだろうが、まあこの際そんなことはどっちでも良い。梅干だろうが梅漬だろうが、ぼくの大好物であることには間違いない。そこで、一も二もなくいただくことにした。丸のまま頬張ると、「わ、本当に食べた」と驚かれた。こんな美味いものを食わずに放っておく方がどうかしている。まだまだ沢山あるから、どんどん食べてくれと言われた。相方から見るとよほど見事な食いっぷりだったのだろう。

 梅といえば、ぼくの母も昔はよく梅酒を造っていた。今もそうなのかどうかは知らない。造るときは大きなガラスの容器の七、八分目くらいまでホワイトリカーを注ぎ込み、氷砂糖を少量、それから青のままの梅の実をゴロゴロと入れていた。梅が入ると容器の口の辺りまで酒で満たされるという案配である。その後、これを台所に備え付けの、床の一部がパカッと開く収納(名称がわからん)に入れて、そのまましばらく寝かせておく。間違っている箇所もあるかもしれないが、大筋ではこのような手順だったと思う。

 あるとき、二年間かけて熟成させた梅酒の容器が、一口も飲まれぬうちに割れてしまったことがあった。もしかしたらこれがトラウマになって、最近は造るのを止めてしまったかもしれない。

 味のしなくなった梅の種をしゃぶりながら、そんなことを考えていた。それから、近所のスーパーへ出掛けて行って、カンパンを二缶買った。