白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2002.12.12

 やれやれ。ようやく懸案のスクリプトを書き終えた。あとは実装だけである。そう、ここまでやってもまだ実装が残っているのだ。でも肩の荷は少しだけ軽くなったような気はする。ライブレポートをサクっと作ることにする。


2002.12.11

 目が覚めたら夕方の五時。既に外は日が落ちかけて暗くなっている。時刻が時刻だし、いくら何でも自分が十数時間寝たとは思い付かないので、夜明け前に目が覚めたのかと思った。昨日は夜明けとともに起き出して朝食をとり、掃除やら何やらをした後に昼食をとって仕事に行き(風邪薬のおかげで眠く仕事にならなかったが)、帰ったら夕食をとってその後 STAR WARS Episode II の DVD を鑑賞、相方がさっさと寝てしまった後ひとりでメイキングディスクをちょっと眺めて、風呂に入って寝たのが二時。決して夜更かしではないんである。ぼくの基準ではむしろものすごく健康的な生活だったのだ。が、今日夕方まで寝たので台無しになってしまった。

 極端に長時間の睡眠を取るようになると、いよいよ冬が来たという気になる。冬の間、ぼくは実生活よりも夢の中で過ごしている時間の方が長い。きっとそうしている方が楽だというのを、頭のどこかで感じているのに違いない。ぼくの躁鬱は病ではなく、症ですらなく、おそらく気質と呼ぶべき程度のものだけど、鬱がかってくるとほとんど神経症に近いくらい精神状態が不安定になるからだ。ちょっとしたことですぐ不安になったり、悲しくなったりする。何でもないことが気に掛かって仕方がない。これが鬱なのかどうかと問われると自信がないけれど、ともかくそんなで昨日も寝る前に何度も窓を開けては戸外を確認していた。どういうわけか、家に火がついていないか気になって仕方がなかったからだ。

 いただきものの蕎麦をざるにて食す。美味。ざる以外で食べるのはこの蕎麦に対して失礼というものであろうというくらい旨い。蕎麦湯も良い味が出ていた。そういえば蕎麦を食いながら花火師のドキュメンタリーを見たのだが、花火ほど日本的なエンターテイメントもないのではないか。華やかで、はかなくて。祭りの賑やかさと日本的わびさびが見事に融合しているように思う。花火、見に行きたいなぁ。もう冬だけど。


2002.12.9

 東京では大雪のようで、先頃まで住んでいた身としてはあの悪夢のような苦労を思ってあまりあるのであるが。まったくもって東京という街は異常なまでに悪天候に弱い。毎年大雪が降ることがわかっていながらどうしてああいう都市構造にしたのか、設計担当者出てきて雪掻きしやがれシャベルは貸してやるからと意味不明なことを叫びたくなるくらい、悪天候に弱い。だからぼくは東京が嫌いだ。

 ところでインターネットという単語に引き続き「〜する」というよくわからない活用を強いられているブロードバンドという単語がある。ぼくも電話をかけたり電話を使って通話することを指して「電話する」などと言うので五十歩百歩なんだけど、気になるんだから仕方がない。特にニフティの CM のコピーが耳につく。家族の絆が広帯域幅だったらどうなるんでせうね。

 言葉は多くの人にとって最も基本的な道具の一つだから、あちこちで口にしたり耳にしたりするうちに陳腐化するというのは多くの表現にとっていわば宿命的なことである。情報が一気に広まる現代では、この傾向は益々加速の度合いを強めていく。広告業界が斬新な表現を求めて突っ走るのはこういった止むに止まれぬ事情があるからなのだろう。

 陳腐化は一方で一般化という側面をも併せ持っている。逆説的に言えば耳新しくなくなったときその表現は「ことば」として受け入れられたことを意味する。陳腐化ないし一般化の過程で本来的な意味から外れてきたとしても、多くの人にとって表現と表現される対象が等号で結ばれている以上、もはやその表現がそうした意味で定着していることを原理主義者は認めざるを得ない。

 いや、ぼく自身を納得させるためだけの理屈かもしれないのだけど。理屈っぽい人間を言いくるめるには理屈に限るんである。「インターネット」然り、「ホームページ」然り。「ブロードバンド」も現在そうした時期にさしかかっているということなのだろう。今日の理屈終わり。

 そういえば今日は埼玉でジョン・レノン関連のイベントが開催されたとのこと。それで東京にいなかったんだね、教授。忘れていたが昨日はジョンの命日であった。彼が非戦を訴え続けた国には、今、戦争がしたくてウズウズしている大統領がいる。さっさと辞めろ、バカ息子。


2002.12.8

 白林檎用語。二日目酔い【ふつか-め-よい】(名)飲酒した翌日、宿酔いほどではないがアルコールが残っている状態。頭を振るとすぐに目が回り、若干の吐き気を伴う。まれに頭痛が伴うこともある。

 やれやれ。昨日父と酒を飲んだのであるが、見事にのせられたようである。営業畑の人間と酒を飲むときは注意しなければならないということがあらためてよくわかった。もういい加減いい年だしなぁ。気を付けよう。酔っぱらっている時間が勿体ない。楽しかったんだけどね。飲んでいるときは楽しく酔っぱらい、翌日はさっと酔いの醒める酒というものはないもんだろうか。

 夕食後、ちょっとした用事でニノミヤへ。夕食後というのがすごいが、あまり気にしてはならない。つれづれなるままに書籍コーナーをぶらぶらしていたら、まあコンピューター関連資格の多いこと多いこと。以前から他の分野より多かったとは思うが、マイクロソフト関連の資格が増えているのはともかく、一体インターネット検定ってのは何ですか。ウェブクリエイター試験とかいうものもあったが、MARQUEE タグを出題するあたり、レベルの低さが窺えて溜息が出る思いである。W3C の Recommendation 読んで出直してこい。

 ぼくは基本的に資格というものが大嫌いな人間なのであるが(故に英検なども受験したことすらない)、それは実際に使用する知識と試験対策用の知識が激しく乖離しているためである。ときには試験問題とその解答の方が間違っていたりなどして、心底無意味に思えるからだ。まあこれは民間の資格団体に限った話だけど。

 とか何とか言っているが、国家資格は仕事柄持っていても損はないかなぁ、と最近思うようになった。とりあえず初級シスアドでも受けてみようかな。どうしようかな。時間取れたら受けてみよう。


2002.12.5

 来た。見た。騒いだ。以上。