白林檎ベースステーション

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白林檎的日常

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2004.3.4

 風邪が治ったと思ったら 別の風邪に罹患し、 また数日を治療に費やした白林檎である。油断大敵。

 ただゴロゴロしているのも癪に障るので、その間PS2『真・女神転生III』をやった。そんな元気があるなら仕事をすればよさそうなものだが、生憎左様な勇気は持ち合わせていない。こういうときはおとなしくゲームでもしているに限るのである。

 女神転生といえば悪魔合体システムがあまりに有名だが、このシリーズの真髄はそれではなく、練りに練られたダンジョンである。ダンジョンに対応する日本語としては「迷宮」が一番近いと思うが、女神転生のダンジョンはまさに迷宮と呼ぶに相応しい。最近の温い RPG に慣れたプレイヤーはまず間違いなく愕然とするだろう。ラストダンジョンに至っては茫然とするに違いない。

 といっても、『真3』のダンジョンは以前の作品と比べると少なからずわかりやすかった。後方視点に変更されたのも影響しているのかもしれない。一方でシビアなゲームバランスは健在であった。クリアレベルの平均が 80 を越す RPG なんて、今どきそうあるものではない。

2004.2.25

 ここ数日というもの、風邪をひいてエライ目にあっていた。ぼくは何とか持ち直したが、相方はまだ咳が抜けない。やはり冬にも関わらず髪を切ったのが原因だろうと睨んでいる。

 自宅で仕事をしているとこういうときに融通が効いて良い。毎年この時期は作業が少ない事も幸いした。おかげで随分とゆっくり休むことが出来た。それはいいのだが、一日中眠っていた余波で、せっかく朝型に戻っていたリズムが崩れてしまった。まあそのうちリセットをかけようと思う。

2004.2.17

 営業で古墳だらけの街にある会社を訪問した。ぼくの住んでいる街もいい加減古墳の多いところだが、件の場所はまさしく墓だらけである。市内案内図を見て、日本武尊の陵はちょっと訪ねてみたいと思った。

 ちょうど下校時刻に重なっていたのか、自転車を駆る高校生や、集団で帰宅する小学生と幾度もすれ違う。数年前まで自分も学生だったくせに、何だか妙に懐かしく感じる。N さんの日記にセーラー服の幻想と女子高生の魔法について書かれてあったが、これは魔法でも何でもなくて、青春なるものを懐かしむ心理の悪戯であろう。過去は一様に郷愁漂う思い出と化す。殊に思春期の記憶は、良くも悪くも非常に甘い。セーラー服はそこに心身共に浸るための一種の触媒である。触媒としての効果が在りさえすれば、別にセーラー服でなくとも、極端なことを言えばシャーペンと消しゴムでも良さそうだ。固定したイメージとしてシンボル化しやすいのがセーラー服であるというだけで、セーラー服にしろ女子高生にしろ特別な力を有しているわけではない。

 青春といえば B 君が某塾を受験したそうだ。ぼくが不真面目な法学生をしていた頃、理工学部にも友達が数人いて、ひとりとは何度かバンドを組んだこともある。そのときのことを鮮やかに思い出した。彼は修士だか博士だかで大学に残っていたが、今年ついに社会人になると年賀状に記されてあった。さっき引き出しをひっくり返して確認したから間違いない。またみんなでビートルズを演りたいなぁ。

2004.2.14

『フルメタルジャケット』を鑑賞。ベトナム戦争を扱った映画であるとか、海兵隊が主役であるとか、「苦情」のネタになった とか、そういう予備知識はあったのだが、やはり一度見てみなければ何にもならぬと思い、ツタヤで手に取ったのである。

 戦争をテーマにした映画はどうも二極化する傾向にあるようで、すなわち感動のヒューマンドラマか、そうでなければドンパチお祭り騒ぎ大作に大別されるように思われる。『フルメタルジャケット』はどちらかというとヒューマンドラマの系統に属すると思うが、涙を誘うようないわゆる「感動のドラマ」ではない。この作品では戦争を美化もせず、また非戦も訴えず、ただ淡々と海兵隊員とその身近にある戦争を描く。そのリアリズムがこの映画の味であって、観賞後に何とも言えない感慨を抱かせる。

 大局的な目的はどうであれ、局地的に見れば戦争はただの殺し合いに過ぎない。殺される側はもちろん、殺す側のやるせなさが、画面を通して痛い程伝わってきた。どうもこのままいくとキューブリック信者になりそうだ。

 ベトナム戦争といえば、ブッシュのタコが支持率を落としているらしい。めでたいことである。だがその対抗馬がベトナム戦争の英雄であるというのも、何だかいただけない話である。

2004.2.10

 ついに吉野家の店頭から牛丼が姿を消す。大変由々しき事態である。牛丼くらい家で食えばいいじゃないかという向きもあろうが、それはラーメンくらい自分で作れば良いというが如きもので、ラーメン屋の味を自分で再現するのが至難の技であるのと同様、いくら精進しようと「吉野家の牛丼」を再現するのは到底出来得るものではない。つまり牛丼と吉野家の牛丼とはまったく別の食べ物なのである。無論普通の牛丼も好きだが、吉野家の牛丼もぼくにとっては欠くべからざるものなのだ。

 今日で食い納めということで、各地の吉野家では行列が出来たそうである。某ちゃんねるの存在が脳裏にちらつくのはぼくだけではあるまい。もっとも、最後に並んででも食っておきたいという気持ちはよくわかる。輸入が再開されたら販売も再開されるとはいえ、名残惜しいのには変わらない。

 牛丼と入れ替わりに、吉野家には新メニューが加わる。相方は「鮭いくら丼」を心待ちにしているが、ぼくは正直いってどうでも良い。嗚呼、牛丼! 汝我と生卵の心を知らず。