白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2004.9.30

 ようやく劣悪CDもどきが滅亡の兆しを見せている。エイベックスに続きソニーミュージックもレーベルゲートCDの破棄を発表したのである。多くの音楽ファンは、ぼく同様に、間違いなく次のせりふを口にするだろう、「だから言ったじゃねぇか」と。

 間違いは誰にでもあることで、それはまあ仕方がない。法人とはいえ人である。間違いに気付き、それを正すことができるのは立派なことだ。だが、レコード会社のこの大いなる判断ミスは、自社のみならず多くの人間に不利益を与えた。既にCCCDでリリースしてしまったアルバムやシングルは即刻回収し、正規のCDとして発売しなおしていただきたいものである。それがせめてもの贖罪となろう。

 まあ何が言いたいかというと、サンタラの『バニラ』を普通のCDで出せということである。

 東芝EMIやフォーライフなど、他のレーベルもこれに追随してくれることを期待している。

2004.9.28

 風邪っぽいと書いたところで日記が途絶えているもので、人はぼくがあれ以来寝込んでいるのであろうと思うであろうが、ちっともそんなことはなく、元気に生活している。風邪で寝込んでいる場合ではないのである。

 HDDが吹っ飛んでほったらかしになっていたメールサーバであるが、例の風邪っぽかった日に新しいHDDを買ってきて、積んでみたところこれが初期不良だったらしく、うんともすんともいわない。いや、正確にはうんといったまま沈黙してしまう。どちらにしてもこれでは困るので、さっさと交換してもらった。

 交換してもらったドライブは、当たり前だが、順調である。これにFreeBSD 4.8をインストールし、これを4.10に上げて世界を作り直した後にいろいろと放り込んで準備完了。ports万歳。その後、パスワードDBやら/homeやら/var/mailやらを仮サーバから引っ張ってきて、復旧完了である。コンパイル時間を除けば、作業時間はせいぜい数時間程度である。こういうとき、ぼくはFreeBSDを使っていて本当に良かったと実感するのだ。

 さて、仕事が一段落したら、次はRAIDを使ったシステム構築に取り組んでみよう。

2004.9.23

 心斎橋のアップルストアを覗いてきた。銀座に出店するなど高級ブランド店を気取っているだけあって、内装や外装にずいぶん気を使っている。また、そのように作っているのであろうが、Macや関連商品が一段と魅力的に見える。なかなか盛況のようであったが、なんとなく「見に来ただけ」という客が多かったように思う。まあ、人の事は言えないのであるが。売り上げが伸びず撤退ということになったら悲しいから、iPodくらい買おうかとも思ったのだが、例によって悩みに悩んだ挙句、何も買わなかった。

 その後日本橋へ抜けてSofmapで少々買い物をしたのだが、この辺から何となく体の具合がおかしくなってきた。けだるく、頭がぼんやりする。ほんの少しだが喉にも痛みがある。どうやら風邪っぽいので、買い物は早々に切り上げて帰ってきた。

 とりあえず今日はさっさと寝る事にする。

2004.9.21

 小学生の四割が「太陽は地球の周りを回っている」と思っているのだそうで、これはもはや教育云々の問題ではなく、親の質が情けないほどに低下した結果であると見るべきだろう。地動説くらい、普通は家族間の会話で自然に身に付く程度の知識であって、どちらかといえば教養の範囲である。まさに子は親の鏡というわけだ。

 まあ朝日新聞のいうことだから、四割というのは少なからず操作が入っているのだろうが、それでもこの現代日本で天動説を支持する人間がこれほどいるとは思わなかった。もっとも、宗教的な理由で天動説を支持している人ならいくらでもいる。だがこの場合、同じ天動説支持者であっても、前者と後者との間には大きな隔たりがある。もちろん後者の方がずっと優秀である。知識が現代の常識に照らして正しいといえるかどうかはともかく、少なくともしっかりした教育を受けてきたであろうことは推察できるからだ。

 常識なんてものは脆く崩れやすいものであって、人類の歴史における発明や発見は、常に常識を疑うところからスタートしている。とはいえ、常識を持っていなければそれを疑う事すらできないのだから、やはり最低限の常識くらいは持っていた方が良さそうだ。世の非常識な馬鹿親どもはこれを機に反省すること。ついでだから、愛する事と甘やかす事の違いについても研究して、レポートにしてどこかに提出すること。

 ところで、常識といえば、ぼくの音楽的常識をふっとばしてくれる作品を見つけた。セガが開発している「君のためなら死ねる」というゲームのテーマソング(?)である。別に怖かったりするものではないので、まずは何も言わずに公式サイトをご訪問いただきたい(いきなり音楽がなるので注意)。

 今、ネット上はこの音楽のために大変な騒ぎになっている。なんというか、もう、かっこよすぎです。セガはたまにこういう妙技を見せてくれるので良い。(゜∀゜)ラヴィ!!

2004.9.14

 amazon.co.jpで『孫ピン兵法』を買った。ピンというのは2ちゃんねる風に書くと月賓という字で、JIS第三水準漢字であるため、普通のフォントでは表示できない。だが、Mac OS Xを使ってヒラギノフォントをブラウザの標準に使っている人なら表示できる。わざとここに書くと「臏」である。

 中国史に少し詳しい人ならご存知だと思うが、孫ピンというのは戦国時代の兵法家で、斉に仕え魏を討った人である。彼の先祖に春秋時代の兵法家孫武がいて、彼は呉に仕えて功績をあげ、有名な兵法書『孫子』を著した。また、孫ピンも兵法書を書いて『孫子』と題したが、古代中国人も流石にこれでは紛らわしいと思ったのか、『斉孫子』などと呼んで区別していたようである。

 現在伝わっている『孫子』十三篇は孫武の著述によるもので、後漢時代に魏武王曹操が編纂したものである。では後者はどうなったかというと、散逸し、長らく失われたままであったが、1972年になって山東省で竹簡が出土し、ようやく現代に甦った。以来、こちらは『孫ピン兵法』と呼ばれている。ぼくが買ったのは村山孚氏の訳本(徳間書店、1976年初版)である。ずっと読んでみたかったので、日本語訳が出版されていたと聞いて喜び、即購入したのである。古本だけどな。ハードカバーの本、高過ぎです。

 アマゾンのユーズド商品に出品しているのは個人だけかと思ったら、この本は神田の古書店から届けられた。古本の並んだ書棚を眺めたらいろいろと欲しい本があるのだろうな、と思う。