白林檎ベースステーション

白林檎ベースステーションは、林檎系個人サイトです。つまり、アップルコンピュータ社の Macintosh の中途半端マニアがうだうだしているだけのサイトです。得るモノ? 他人にそんなものを求める根性は間違っています。まあ、まったりと日記などをお楽しみください。

白林檎的日常

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2005.6.7

 たまげたことに、アップルがインテルのチップに乗り換えるという噂は真実であった。今朝、そのニュースを聞いた時、ぼくの頭は混迷を極め、四肢からは力が抜け、弛緩しきった両のマナコからは大粒の涙がこぼれ落ちた。もちろん嘘だ。

 とはいえ少なからず混乱していたのは確かで、つまり現在のソフトウェア資産が無駄になるのではないかという心配があったからである。しかし、よくよくニュースを読んでみれば、その辺については心配しなくても良いような感じである。ソフトウェアはしばらくインテル版とPPC版が並行して出荷されるようだし、インテルCPUに乗り換えても、ロゼッタとかいうエミュレータによって、PPCバイナリが「まるでネイティブなコードのように」動くのだそうだ。

 でもまあ、あれですね。IA32アーキテクチャらしいので、もちろん来年のことはわからないけれど、何となくPower Mac G5を確保しておいた方が賢いような気もしないではないですな。

 ……あ、来年の様子を見てから中古のG5を買えばいいのか。

2005.6.8

 勝ちましたね。良かった良かった。北朝鮮の9番のキム某(多分)が一発退場くらってましたが、悔しかったんだろうなぁ。よっぽど悔しかったんだろうなぁ。北朝鮮選手団、本国に帰ってから、無事に人生を全うできるかなぁ、とか。余計なことを心配していますが。余計な心配のしすぎで、口調が変です。なんで日記ごときをデスマス調で書かにゃならんのか。

 とりあえず祝い酒を飲んで寝ることにします。グーテ・ナハト。

2005.6.11

 梅雨入り宣言が出たので夕食に鍋物をしていたら(色々と説明が必要な文だが敢えてスルー)、ラジオから「セイントおじさん!」なる不可思議なグルーヴが流れてきた。電気っぽい言葉のセンスだなーと相方に話しかけたら、電グルっぽいも何も電グルそのものであると言われた。ちゃんとDJのトークを聞いていなかったので、ちっとも気がつかなかった。

 もう少し正確に書くと、電気グルーヴとスチャダラパーのコラボユニットの新曲で、題名もズバリ『聖☆おじさん』という(さっきFM802のサイトで調べた)。今日が初オンエアだったのだそうだが、とにかく、このいかにもイカれた言葉のセンスにしてやられた。ので、早速アルバムを予約した。「誰経由? セイントおじさん! 誰軍団? セイントおじさん!」などと歌われた日にゃ、買わぬわけにはいかんだろう。

 アマゾンをうろうろして気がついたのだが、Tokyo No.1 Soul Setのアルバムも出ていた。先行シングルまで買っていたのに、すっかり忘れていた。彼らは1999年にアルバムを出してそのライブをやってからずっと各々のソロ活動ばかりしていたが、去年の秋に唐突に活動を再開し、シングルとベスト盤をリリースし、最新アルバムをひっさげて、六月末からはツアーであちこちを巡るそうだ。行きたいけど、ちょっと無理だろうな。

2005.6.16

 風呂に入っていたら、クモが巣を張っていた。このクモは実をいうと顔見知りで、マヌケなことに二、三日前から風呂場で頑張っている。一昨日、昼間にちょっと見たらもう居座っていて、夜半過ぎにシャワーでもしようかと行ってみたら、まだ居た。なかなか根気のあるクモだとしげしげと眺めて、ひょいと左を見ると、壁に立派な使徒がくっついていて、長い触角を動かしながらカサコソと蠢いていた。

 今年初めての遭遇に驚いたぼくは、悲鳴こそ上げなかったもののそのまま退散し、しばらくしてから逆上し、翌日ゴキンジャムなどを家中にばらまき、さらに風呂の壁という壁をアルコール消毒してやったのだが、そのときにもこのクモ氏はまだそこに居て、じっと網を張っていた。よく獲物がかかるからここに居るのか、何か獲れるまでは意地でも動かぬという気持ちで居るのか。ともあれ見上げた根性だ。

 ぼくはクモは平っちゃらである。むしろ愛してすらいる。彼らは実にネバネバした糸を連れているから、掌に乗せて愛でるという訳にはなかなかいかないが、その保護には気を遣っていて、部屋でクモを見かけたら天然記念物か重要文化財のように丁重に扱うことにしている。なんとなれば、彼らは蝿だの蚊だの使徒だのを狩ってくれるからである。こんな益虫が他にいるだろうか。

 それに、彼らの仕事はなかなか見ていて興味深い。昨夏のことだが、寝室の電灯のカサのところに同じ種類のクモがやってきて、網を張り始めた。礎となる数本の糸を張るのには少し苦労していたが、それが終わると後は実に手際が良い。ぐるぐると回って、あっという間に巣が出来てしまった。こんな現場はNHK教育テレビでしか見たことがなかったものだから、ははぁと思って見ていたのだが、見ているうちに蚊がひっかかった。と思う間もあらばこそ、クモは電光の如く蚊のところまで移動し、あれよあれよという間に糸で包み込んでしまった。あまりの早業に、ぼくは思わず手を合わせて拝んだほどである。

 朝だか夜だかに見かけるクモは縁起の良いものなのだそうだ。ぼくにとっては朝も夜もなく、クモは家の守護神の一種みたいなものである。今年の夏もどうぞよろしくと、巣を壊さぬように丁寧に風呂から上がった。

2005.6.19

 小田和正『そうかな 相対性の彼方』を購入。「そうかな」というのが「相対性の彼方」の略であることを、開封してみるまで気が付かなかった。

 とりあえずグルグルと聞いている。老いてなお盛んなどというと失礼極まるが、ここ最近の小田さんは本当にノッている。どの曲も良い。

 四曲目に『僕らの夏』というのが入っている。オビによればロボコンのテーマ曲だったらしいが、これはもう、誰がどう聴いたって、オフコースのことを歌っているのだと直感するに決まっている。

 学生時代に何人かで何かの活動をした経験を持つ人たち(例えば、ぼくならバンドであるが)は、この曲を聞いて、ただならぬものがこみ上げてくるに違いない。小田さんはオフコースを「僕にとって学校みたいな場所だった」と発言しているが、彼がオフコースをテーマにして歌うということは、つまりそういうことだからだ。

 五月病が抜け切らない新社会人には、あまりお薦め出来ない曲ではある。けれど、今を最高の時間として生活出来ている人にとっては、セピア色の香りを乗せたひとすじの風のように、この曲は響くことだろう。前向きの懐かしさを心地よく感じることが出来たら、それはあなたが、全ての時間を大切にして生きていることの証だと思って良い。