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2005.6.16
風呂に入っていたら、クモが巣を張っていた。このクモは実をいうと顔見知りで、マヌケなことに二、三日前から風呂場で頑張っている。一昨日、昼間にちょっと見たらもう居座っていて、夜半過ぎにシャワーでもしようかと行ってみたら、まだ居た。なかなか根気のあるクモだとしげしげと眺めて、ひょいと左を見ると、壁に立派な 使徒がくっついていて、長い触角を動かしながらカサコソと蠢いていた。
今年初めての遭遇に驚いたぼくは、悲鳴こそ上げなかったもののそのまま退散し、しばらくしてから逆上し、翌日ゴキンジャムなどを家中にばらまき、さらに風呂の壁という壁をアルコール消毒してやったのだが、そのときにもこのクモ氏はまだそこに居て、じっと網を張っていた。よく獲物がかかるからここに居るのか、何か獲れるまでは意地でも動かぬという気持ちで居るのか。ともあれ見上げた根性だ。
ぼくはクモは平っちゃらである。むしろ愛してすらいる。彼らは実にネバネバした糸を連れているから、掌に乗せて愛でるという訳にはなかなかいかないが、その保護には気を遣っていて、部屋でクモを見かけたら天然記念物か重要文化財のように丁重に扱うことにしている。なんとなれば、彼らは蝿だの蚊だの 使徒だのを狩ってくれるからである。こんな益虫が他にいるだろうか。
それに、彼らの仕事はなかなか見ていて興味深い。昨夏のことだが、寝室の電灯のカサのところに同じ種類のクモがやってきて、網を張り始めた。礎となる数本の糸を張るのには少し苦労していたが、それが終わると後は実に手際が良い。ぐるぐると回って、あっという間に巣が出来てしまった。こんな現場はNHK教育テレビでしか見たことがなかったものだから、ははぁと思って見ていたのだが、見ているうちに蚊がひっかかった。と思う間もあらばこそ、クモは電光の如く蚊のところまで移動し、あれよあれよという間に糸で包み込んでしまった。あまりの早業に、ぼくは思わず手を合わせて拝んだほどである。
朝だか夜だかに見かけるクモは縁起の良いものなのだそうだ。ぼくにとっては朝も夜もなく、クモは家の守護神の一種みたいなものである。今年の夏もどうぞよろしくと、巣を壊さぬように丁寧に風呂から上がった。
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