2005.9.7
来年の元旦に閏秒が1秒挿入されることになったそうだ。閏秒というのは閏日の子分みたいなもので、地球の自転と人間が使用している時刻とのずれを秒単位で修正するためのものである。閏日は4年ごとだが、閏秒は特にそういうのが決まっているわけではないようで、今回は7年ぶりの挿入になるという。こういう話を聞くと宇宙と自分が突然ダイレクトに繋がったような気がして、少なからぬ感動を覚える。
対して自然を身近に感じることは日常的にある。環境音だとか風の湿り具合だとか、そういったものに季節を感じることが出来る。台風が近付いてくれば家に篭もって通り過ぎるのを待つしかなく、こういうときはちっぽけな人間存在とかいうことに考えが及ぶ。もっとも、今年の14号はノロノロと進むうち次第に勢力が弱くなり、あまつさえ日本海方面へと進路を変えてしまい、何だか拍子抜けしてしまった。
それでも九州や山陰では結構な被害が出たようだし、3%の貯水率で深刻な渇水に悩まされていた早明浦ダムが24時間で満水になったそうで、やはり自然の影響というのは大きいものだと実感した。
アメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」の被害は、影響どころでは済まない規模になっている。一次被害の段階で死者が数百人、避難先での感染症や衰弱に因る死者が数千人、さらに援助物資が来ると文字通りの争奪戦となり、ここでも死者が出ているという。掠奪、強盗、強姦、殺人は日常茶飯事、それらを取り締まるために犯人の射殺も躊躇なく行われているというから、まさに非常事態だ。おまけに水を抜き始めてみたら、どこぞの川から多数のワニが流れ着いて被災者の遺体を漁っていたといい、ここまで来ると最早想像することすら困難である。
自然の対義語は文明ということになるだろうか。中国の影響下にある東洋文明は自然と調和し、メソポタミアに端を発する西洋文明は自然と対立するということがよく言われるが、その思想の違いは、例えば神話や伝承に見ることが出来る。最も顕著にして有名なのが龍とドラゴンの比較である。
龍とドラゴンはどちらも水にゆかりの深い存在で、もっといえば河川の象徴である。しかしその立場は随分と違う。東洋の龍は神様で、非常に高貴な存在とされた。「龍のような」といえば最大級の賛辞となるし、中国では龍のあしらわれた文物は皇帝とその周辺の人間にしか使用・着用を許されなかった。
一方、ドラゴンは完全に悪役である。悪役どころか悪の総元締めのような存在である。ファンタジーなんかだとときどき善玉ドラゴンも登場するが、わざわざ「善玉」とか「善き」とかいった修飾句が付くくらい希有な存在で、大抵は人間を困らせ、苦しめる、最大にして最強の敵として描かれる。その代わり、ドラゴンは莫大な富を隠し持っていて、鎮めることが出来た人間はそれを手中にすることを許された。
この違いは、治水や水害の捉え方の違いであるといって大過なかろう。どちらが優れているかなどをここで論じるつもりはないが、カトリーナによる被災地の写真を見ていると、西洋人が水の害を悪魔の業と為したのも蓋し当然のように思われてくる。
アメリカ南部を襲ったドラゴンを退けたとき、彼の地に幸いの訪れることを願って止まない。
▼日本赤十字社の救援金情報