2006.4.1
せっかくだから何か面白いことでもしようかと思ったのだが、特に思いつかなかったので、エイプリルフールについて書くことにする。
昔、今のスペインにアブラスという男がいた。キリスト教全盛の、中世のことである。彼は聖人に列せられているが(エイプリルフールはつまり彼の日である)、もともとの生業はというと詐欺師で、方々で人々に害を為していた。
あるとき、ついに神の敵として捕縛され、ローマに護送されることもなく、現地の司教だか神父だかの判断で裁かれることになった。判決は、死刑。それも火炙りにかけられることになり、ついに処刑の日となった。足下に積まれた枯れ草に火が着けられ、縛りつけられたアブラスも一巻の終わりと思われたが、そのとき一天にわかにかき曇り、篠つくような豪雨となって、まさに燃え上がらんとしていた炎をたちまちのうちに消してしまったかと思う間もあらばこそ、すっと雨もあがり、雲間から太陽が何事もなかったかのように顔を出した。
これは神のご意志であろうということになり、アブラスは釈放される。しかし民衆のこともあるので、ご当地の神父だか司教だかは「召使い」と称してアブラスの元へ修道士をひとり送り込み、彼を監視させることにした。アブラスはというと、彼は彼で神に感謝の念を抱き、これからはまっとうに生きようと決心して、以後は嘘は言わぬ、もし言ったら即刻引き立てて、今度こそ縛り首にしてもらってかまわぬと公言していた。
それからのアブラスは本当にひとことの嘘も言わずに過ごしていたが、そんなある日、街でひとりの老婆と出会った。彼女は一通の手紙を手にして、読もうとしているようだったが、一方で途方に暮れているようにも見えた。不審に思ったアブラスがどうしたのかと尋ねると、果たして老婆は文盲なのであった。その手紙は息子の旅先から受け取ったのだが、一体何と書いてあるのか──彼女に請われるままアブラスはその手紙を読み、そして聞かせようと思ったが、そこに書かれてある内容は、そのまま伝えるには過酷な内容であった。
「何と書いてあるのかしら」
老婆が云う。生涯嘘は付かぬと決めたアブラスだったが、ここで葛藤が生じた。結局、彼は、手紙の内容とは正反対のことを老婆に告げ、そこを後にした。それから彼は教会へ赴いて、自ら処刑台に登ったとのことである。彼の罪はその思いやりによって神に許されるであろう、と司教だか神父だかが言うと、一筋の光がアブラスの体を包み込み、その魂は天に召されたということだ。教会は彼を聖人に列し、その日──つまり4月1日を彼の日とすることを決め、後世、その日だけは嘘をついても、人の心を傷付けぬようなものなら、神は許されるといわれるようになった。
とまあ、ざっとこのようなホラを吹く習慣は、比較的古くから存在するようである。来年からは祝日になるそうだ(これは本当)。ご興味のある方は
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