白林檎ベースステーション

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白林檎的日常

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2002.12.9

 東京では大雪のようで、先頃まで住んでいた身としてはあの悪夢のような苦労を思ってあまりあるのであるが。まったくもって東京という街は異常なまでに悪天候に弱い。毎年大雪が降ることがわかっていながらどうしてああいう都市構造にしたのか、設計担当者出てきて雪掻きしやがれシャベルは貸してやるからと意味不明なことを叫びたくなるくらい、悪天候に弱い。だからぼくは東京が嫌いだ。

 ところでインターネットという単語に引き続き「〜する」というよくわからない活用を強いられているブロードバンドという単語がある。ぼくも電話をかけたり電話を使って通話することを指して「電話する」などと言うので五十歩百歩なんだけど、気になるんだから仕方がない。特にニフティの CM のコピーが耳につく。家族の絆が広帯域幅だったらどうなるんでせうね。

 言葉は多くの人にとって最も基本的な道具の一つだから、あちこちで口にしたり耳にしたりするうちに陳腐化するというのは多くの表現にとっていわば宿命的なことである。情報が一気に広まる現代では、この傾向は益々加速の度合いを強めていく。広告業界が斬新な表現を求めて突っ走るのはこういった止むに止まれぬ事情があるからなのだろう。

 陳腐化は一方で一般化という側面をも併せ持っている。逆説的に言えば耳新しくなくなったときその表現は「ことば」として受け入れられたことを意味する。陳腐化ないし一般化の過程で本来的な意味から外れてきたとしても、多くの人にとって表現と表現される対象が等号で結ばれている以上、もはやその表現がそうした意味で定着していることを原理主義者は認めざるを得ない。

 いや、ぼく自身を納得させるためだけの理屈かもしれないのだけど。理屈っぽい人間を言いくるめるには理屈に限るんである。「インターネット」然り、「ホームページ」然り。「ブロードバンド」も現在そうした時期にさしかかっているということなのだろう。今日の理屈終わり。

 そういえば今日は埼玉でジョン・レノン関連のイベントが開催されたとのこと。それで東京にいなかったんだね、教授。忘れていたが昨日はジョンの命日であった。彼が非戦を訴え続けた国には、今、戦争がしたくてウズウズしている大統領がいる。さっさと辞めろ、バカ息子。